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船橋周辺の変わった石造物

船橋周辺を歩いていると、変わった石造物に出くわすことがある。以下、そのうちの数例を紹介する。

たとえば、下の烏のレリーフであるが、高根の熊野神社の狛犬ならぬ、熊野烏である。その熊野神社は慶応年間に建てられた小さな神社で、道の奥の住宅のあいだになるために分かりにくい。高根は小金高城氏の一族という高城山城守が城主であったという高根城があったところ(高城右京亮という族臣の館址という場所もある)で、高城氏所縁の熊野神社を勧請したものであろう。烏は熊野権現の使いというから、それで烏の彫刻があるわけだ。高城氏は、八木原文書「小金城主高城氏之由来」によれば、九州千葉氏の祖である大隈守胤貞の弟新介高胤のニ男胤雅の代に九州千葉氏から分岐し、肥前高城村から高城姓を名乗って、南朝方として戦った歴史を持ち、最後に拠ったのが紀伊熊野新宮であったと伝えられ、実際高城氏には熊野信仰がある。高根にある熊野神社は、熊野権現と大六天を祀っており、珍しい神使の烏の石像が狛犬のように建てられているが、高城氏の熊野信仰によるものであろう。

<高根熊野神社の烏>

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また、高根の北東の古和釜の東光寺には、侠客であった人物の出家姿の石像がある。東光寺の焼失した薬師寺跡に、百葉箱のような木製の箱があり、その中にその石像は安置されている。市指定文化財の像高27cm、袈裟をかけた僧形の坐像で、蓮華座の上に載せられており、像の背面に「自休大徳」という文字が刻まれている。この「自休大徳」とは江戸時代初期の侠客、深見十左衛門が出家して号したもの。

東光寺は瑠璃光山清蓮院といい、天台宗延暦寺派の寺である。なぜか、真言宗の吉橋の愛宕山貞福寺と関係が深く、吉橋とは講の関係がある。石造自休大徳坐像は、深見十左衛門出家後の姿。深見十左衛門は、剃髪後、この石像を石工に刻ませたという。深見十左衛門没後、長年仕えていた子分が、この像を持って全国を行脚し、最後にこの地にたどりついたので、この像が東光寺に安置されていると伝えられている。

侠客とは思えない、小さな可愛らしい石像で、どんな心境で出家したのかなど、気になる仏である。

<「自休大徳」坐像>

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もうひとつ、船橋の街中、正確には寺町にあるのが、不動院の大仏である。大仏といっても、それほど大きくない、不動院の釈迦如来坐像。像そのものは、珍しくはないが、この大仏に毎年2月28日になると、顔の口の部分に飯を盛るという習俗がある。これは、船橋市の無形民俗文化財となっている「飯盛り大仏」の習俗である。この「飯盛り大仏」の由来は悲しい話である。

江戸時代、船橋浦の漁場をめぐって、船橋の漁師と近隣の浦安、葛西辺りの漁師はたびたび紛争となった。船橋浦は三番瀬など、江戸前の恰好の漁場で、密漁も多く、漁業権を主張する船橋の漁師と周辺地域の漁師がよく争い、海上で争うことも多かった。特に文政7年(1824)には、一橋家御用の幟を押し立てて来た葛西の漁師と、船橋浦を守ろうとした船橋の漁師が衝突し、葛西の船に乗っていた一橋家の侍を船橋の漁師が殴ったことから大事となり、船橋の漁師惣代3名が入牢させられ、そのうち仁右衛門、団次郎の2名が獄死もしくは出牢後に病死した。その80年ほど前の延享3年(1748)津波の被害で落命した漁師たちの供養とあいまって、その牢の中で飯も満足に食べられなかった漁師惣代の苦労を偲んで、文政8年より大仏の顔に正月28日に飯を盛ることが年々続けられ、今日に至っている(明治以降は2月28日に飯盛りをする)。

その大仏は、石造の釈迦如来像であり、不動院の門前にまつられ、いつも近隣の人の手によってか、花が供えられている。

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そのほか、路傍の石仏にも面白いものがある。中世に佐津間城があった鎌ヶ谷市中佐津間の大宮神社の鳥居の近くに、元禄期の古い青面金剛像があるが、これはいかにも武骨で洗練されていない。同じ作者のものと思われる像は、松戸などにもあるようだ。一説には、行者の作という。稚拙ななかに、ユーモラスでもあり、洗練された後世の石仏より、味がある。

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