« 2007年2月 | トップページ | 2009年1月 »

船橋印内にある成瀬地蔵

「犬山まつり」は桜と山車で有名であるが、その犬山城の城主成瀬氏は、船橋と所縁がある。
犬山城主となった成瀬氏と船橋との関わりは、犬山城主初代の正成の代から始まる。成瀬正成は徳川家康の側近であったが、天正18年(1590)に家康が豊臣秀吉によって関東に移封された際、栗原郷といわれていた現在の船橋市西部の四千石の所領を与えられた。成瀬正成は、能力のあった人物であったらしく、関ヶ原の合戦で軍功をあげ、堺の行政官としても業績をあげた。その功績に対して、甲斐で2万石、三河で1万石を与えられ、大名に列する。しかも、後の老中に相当する年寄り衆に慶長12年(1607)から元和2年(1616)の9年間任ぜられた。

<木曽川沿いの道から見た犬山城>
inuyamajyo

ところが成瀬正成は、元和3年(1617)、徳川家康の九男義直が尾張徳川家を興したときに、家康に懇願されて付家老となった。これによって、将軍側近の譜代大名であった立場から、将軍家からみると陪臣となる。家康存命の頃や秀忠、家光が将軍であった頃には、成瀬氏と徳川家康の近しさ、正成の業績を知る人も多く、正成やその子の正虎は、大名でなくともそれなりに処遇されていた。しかし、後世になると、陪臣扱いが顕著になっていく。つまり3万石以上の所領をもちながら、大名ではなくなったことが、後の成瀬家に影を落すのである。
成瀬正成は、家康の有能な部下であったがゆえに、普通の大名で生涯を終えることができなかった。そのアイロニーは、正成の次男之成が将軍秀忠の小姓として千石を与えられていたのに、正成が犬山城主となったときに、正成の所領の一部である栗原郷四千石と三河の一万石を譲って、之成が大名となったことにも現れている。つまり成瀬本家は尾張徳川家の付家老、之成の栗原成瀬家は大名となったのである。
その後、正成は寛永2年(1625)に江戸で没し、船橋の宝成寺で荼毘にふされた。さらに、日光の家康の廟近くに埋葬された。その犬山の家督は長男正虎が継ぎ、以降連綿として明治維新を迎える。

<船橋の宝成寺>
houseiji

<宝成寺の成瀬家墓地~大きな石塔が犬山城主七代正寿の墓>
masatoshi

一方、栗原の成瀬之成は寛永11年(1634)に39歳で亡くなり、家督はわずか1歳の之虎が継いだ。その之成の亡くなった際に、平野宇平次、青木右源太、藤村仁右衛門の3名が殉死している。幼くして家督を継いだ之虎も、4年後に病死し、他に男子がなかったため、栗原成瀬家は断絶した。ただ、船橋の宝成寺は、成瀬氏の江戸における菩提寺のひとつとして存続し、現に7代城主の墓もある。
現在も船橋の宝成寺には之成、之虎、之成夫人と殉死した3名の墓がある。そして犬山成瀬家の7代正寿(まさなが)の墓もあるが、これは3m以上ある大きなもので墓としては県内最大級のものという。殉死した家臣の墓が主君と同じ場所に建立されるのは極めてめずらしく、また之成の墓の裏面には三人の殉死者の名前が刻されるなど異例のことである。よほど、成瀬家はオープンマインドであったのか。それにしても、殉死とは現代に生きる我々には想像しにくいことである。忠誠心だけでなく、家名をあげるとか、いろいろな思惑があったのかもしれないが。なお、之成の墓や殉死者の墓のところに全国成瀬会と書いた卒塔婆があったが、全国成瀬会とは何だろう?
全国の成瀬さんの親睦団体か、それとも犬山成瀬家ゆかりの人々?

<之成の墓~駒形のもの>
yukinari1

<之成の墓の裏~殉死三人の文字あり>
yukinari-ura

宝成寺の近く、京成西船駅の北側道路沿いに成瀬地蔵という地蔵がまつられている。いわれとしては、成瀬之成が宇都宮の釣り天井事件に連座して切腹し、その菩提を弔うためとか、近郷の早世した子供の冥福を祈るためとか、伝承にも諸説あるらしく、はっきりしない。釣り天井事件に関しては、尾張徳川家の為に尽力した成瀬正成の所領、栗原郷四千石を引き継いだ、次男の成瀬之成が三代将軍家光に仕えた際、宇都宮、釣天井事件が起こり、その事件に連座して之成は当地まで逃れ、切腹したと伝えられ、この之成の供養のために造立したと言う説がある。近郷の早世した子供の冥福を祈るという説では、印内村が、木戸内村と呼ばれていた頃、地元の名主、田中徳左衛門・忠左衛門両人を本願主とし、木戸内の女性だけの念仏講連衆が5才で亡くなった、之成の子、之虎への供養とあわせて夭折した地元の子供の為に寄進、造立し、供養をしていたとの説がある。

宇都宮釣天井というのは、その話自体後世の作り話で、成瀬地蔵に関してもとってつけたような話であるが、ただ、成瀬地蔵というからには、成瀬家の遺風を懐かしむ何かがあったのであろう。

<成瀬地蔵>
naruse-jizou

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年2月 | トップページ | 2009年1月 »