京都の通りと町並み

2007年12月16日 (日)

三哲

京都の人から最近メールをもらいました。それも二通。

いずれも、「三哲」について以前ブログで取り上げ、それを「古城の丘にたちて」HPにアップしたことについての反響です。

<三哲のバス停>

Santetsu

不思議なことに、小生がその地名について興味をもったのは十数年前なのに、調べにわざわざ京都に出かけていったのは、それほど前ではありません。そして、当日京都駅の近くの喫茶店でマスターと話をし、結局関係なかったのですが西本願寺まで行きました。西本願寺に行っても、何ともならず。帰りしな、隣接する龍谷大学で京都地名研究会のシンポジウムをやっていて、これ幸いとそこで研究会の人に聞いたのですが、意外や「そんなもん、いきなり聞かれても」という返事にて分からず。「梅ヶ枝の手水鉢、たたいてお金がでるならば」の「梅ヶ枝の手水鉢」を見るなどしてブラブラした後、宿である神戸のホテルに戻ってインターネットで検索したら「鼓月」さんの連載コラムに出ていたという顛末でした。

<梅ヶ枝の手水鉢>

Umegaechouzubachi

そして、地名の由来となった「渋川三哲」とは江戸幕府の碁方、天文方をつとめた初代安井算哲の子の渋川春海であり、父の死後二世算哲となったが、すでに安井の碁方は初代の弟子算知が継いでいたため、天文方のみ継ぎ保井算哲と名乗った人物であると最近知りました。

三哲とは「算哲」の当て字による地名であったのでしょうが、三の字からは三人の哲人を連想しがちです。結構、昔の人は音だけで、まったく意味の違う字を平気で使いました。昔、秀吉が祐筆に手紙か何か書かせたとき、祐筆が「醍醐」という字を度忘れし、筆を止めていると、秀吉が「大五」と書いておけと言ったとか。これは秀吉が農民出身で、教養がないためと言われることがありますが、秀吉流の合理主義で、少々の字の間違いより、それを思い出すのに時間をかけていたのでは、一刻を争う現実に対応できないということ。まあ、前後の文脈から「大五」が「醍醐」と想像つくからだったかもしれません。

そうはいっても、後世の人間がピンポイントで調べるときには、それでは困りますが。

<京都新橋通>

Kyoshinmashi

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