日記・コラム・つぶやき

2014年9月21日 (日)

ロケット戦闘機秋水の動画2題

手賀沼と松ヶ崎城の歴史を考える会では、昨年ロケット戦闘機秋水の地下燃料庫の見学会を行い、その前には秋水搭乗員養成部隊である海軍秋水隊の元中尉の方の聞き取りも行いました。

聞き取りは記録したものをまとめましたが、その際の映像または関連する画像などを使って短い動画を作成しています。

以下、YouTubeにもアップしましたが、2つ動画を作成しました。 なお、女性の声のナレーションは元アナウンサーの富澤さん、男性の声は会の会長です。

ロケット戦闘機秋水~海軍搭乗要員は語る~  ↓

ロケット戦闘機秋水と地下燃料庫  ↓

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2011年7月 4日 (月)

門前の小僧習わぬ植物観察

小生の入っている地域の会の事務局長だった方がなくなって、もうすぐ1年になります。

城跡の植物を含めた保全というテーマは、大変重く、植樹はしたものの、これからどうしていくか、歩きながら考えるしかありません。

門前の小僧習わぬ経を読みではありませんが、習わぬ植物観察会を今度7月16日(土)の午前中に予定しています。しかし、よりによって歴史、それも無粋な中世の戦乱や城跡に興味があり、野にある植物の名前といえば、ドクダミとその他数種類しか知らないような自分が植物観察会を主催するとは、どういうめぐりあわせでしょうか。

<キンラン>

Kinran

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2010年9月13日 (月)

手賀の歴史散歩

手賀沼と松ヶ崎城の歴史を考える会では、今まで近隣の歴史見学会をやってきましたが、直近でその候補になっているのが、手賀。

柏市手賀ですが、手賀沼は、なぜこの手賀の名前を冠しているのか、いまだに分りません。また、手賀は、10年ほど前から、たまに来て、城跡を見ていますが、その全貌がはっきりしません。軍船を係留した場所が分ればよいと思っています。

それは兎も角、何度か下見とプラン作成に行っています。手賀の見どころは、ハリストス教会と手賀城跡(遺構は断片的にしか残っていませんが)。ほかに兵主八幡神社など。

<手賀ハリストス教会>

Tegakyoukai

つい最近、手賀まで下見に行き、手賀寿司さんでランチを食べましたが、寿司一カンが、通常家の近く等で食べる寿司とくらべると、倍くらいあります。特にシャリは、俵結びくらいあり、しかも甘くてうまいのです。マスターもいい人です。

手賀をまわるとき、欠かせないのが手賀原氏の存在。原氏の墓所で説明しようとおもいましたが、お墓はどうも苦手で早々に退散したく、やはり城跡で説明した方が良いかもしれません。

関係ありませんが、ぶどうを頂きました。手賀の人は親切な人が多いです。

<頂いたぶどう>

Tega_budou

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2010年9月11日 (土)

夏の終わり

夏の終わり

いろいろなことがあった7月が過ぎ、8月の初めは手賀沼の周辺をめぐり、橋のたもとにある道の駅に行ったり、ボートに乗ってのんびりしていたのも束の間、世間は夏休みというのに仕事は急に忙しくなりました。

おまけに主任内部品質監査の社内資格があるばかりに、東京の内部監査などという御役目も仰せ付けられ、東京の下町にある事務所にも監査のために出向きました。普段は、お客さんの会社に詰めていますので、そういう人間を社内の仕事に使わなくても専門部署がやれば済む話と思うのですが。

一仕事すんだと思えば、秋風がやがて吹くでしょう。

あっけないものです。

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2010年9月 4日 (土)

黒揚羽蝶

小生が手賀沼と松ヶ崎城の歴史を考える会に入って、もう6年になります。その間、いろいろあったのですが、地域の歴史、自然を次世代に受け継ぐことは、言うまでもなく重要なことで、そのよすががなくなってからでは遅いということを痛感しています。

会に入って1年位してからですが、花野井の歴史散歩という催しがあり、参加しました。その頃は忙しいながらも、まだ自分のHPをある程度更新するくらいの気力はあり、柏市花野井の歴史散歩の結果をブログに書いて、HPにもリンクしました。その歴史散歩の日に総会があるとのことで、花野井の香取神社の横の集会所を借りて、会議をしましたが、その時小生の横に座っていた男性が急に立って怒ったように、ちゃんと机を並べてやらないとダメだ、と言い出しました。それで、折りたたみの長机を出し、座布団を並べ始め、初対面の小生にも「あんたももたもたせずに手伝って」と言って手伝わせたのです。

<花野井の香取神社>

Katori1

その人は、後に事務局長になったHさんでした。強引な人もいるなあと思いながら、言っていることはまっとうなので、小生はHさんと一緒に机を並べました。

その後、Hさんは会の幹事になり、城跡に掲げる「松ヶ崎城跡」の横断幕を作ったり、急に竹炭を焼き出したりしました。さらに事務局長になると、会の活動にますます熱心になり、自然環境を守るということで、自分自身も別の地域の団体に教えをこいにいったり、大学の専門分野で学ぶために再入学したり、はては草刈り機なども自前で買ってきたりして、熱心にやっていました。

それで、会や関係者の何人かの人は、一緒に炭焼きをしたりしましたが、そういう行動に反発する人もいました。小生は、歴史の会だと思って入会した口ですので、Hさんとは別の形で保存を考えていたかもしれません。「保存」というと、自然環境を守るという人たちは、木を一本切るのもNGというかもしれませんが、遺跡の保存を第一義に考える人間にとっては、極端に言えば遺跡や周辺に草木など別に生えていなくて構わないのです。ただ、草も木もない、土くれだけの丸坊主では、見栄えも見たときの気分も良くないかもしれません。

小生も、Hさんが一生懸命なのは分かりますが、やろうとしていることが、余り良く分かりませんでした。Hさんも、歴史については、余り口出ししないようにしているようで、小生とはけんかにもならなかったのです。

やがて、小生が副会長になり、役員会の常連は会長代行とHさん、小生となると、毎月顔を合わせるHさんが周囲にかなり気を使っていることがわかったのです。

しかし、草刈りは一人でやってしまう、竹炭作りでも誰も来なくてもせっせと竹を集めてきて、焼く準備をしているというHさんの姿は、今松ヶ崎城跡にも、どこにもありません。

去年の秋頃から体調不良を訴え、その後癌だと告白してから、一度入院、3月には一旦退院して、今年の総会の行われた日、講演会や事後の講師を囲む食事会にも出てきたのですが、基本的には昨年暮れ以降ずっと闘病生活で、遂に7月にお亡くなりになりました。亡くなる直前にお見舞いに行ったときは、まだ言っていることもしっかりしていましたが、しきりにやりたいことがたくさんあったと言っていました。前の会長や小生は面会できましたが、その数日後にお見舞いに行った人たちはもはや面会できませんでした。

Hさんが亡くなった直後、松ヶ崎城跡に、柏市から紹介された自然環境のグループに来て頂き、城跡の植物を見て歩いたのですが、アキノタムラソウ、ジュウニヒトエ、コムラサキ、ヒヨドリバナ、キンミズヒキ、ミズヒキ、ヤマユリ・・・など、小生の知らない貴重な草花も含めて、結構草花の種類も豊富にあることが分りました。

<アキノタムラソウ>

Akinotamurasou

「あっ」と自然環境のグループの人も驚き、一眼レフのカメラにおさめていた大輪のヤマユリ。花弁が、ぎざぎざしたような形で、真っ白ななかに鮮やかな黄色とオシベの橙色が印象的で、神々しいほどでした。こういう草花を見ることは、自然の尊さを知ることにもつながっていくと思います。

もしかすると、Hさんのやりたかったのは、こういうことだったのでしょうか。竹炭を焼くのに、地面の上に釜をしつらえ、火力の調整のために特殊な温度計で測っていた姿、黙々と草刈りをしていた姿などが、鮮明に記憶に残っています。

後日、Hさんの供養のため、城跡に線香を供えたのですが、その折ヤマユリの周りを大きな黒揚羽蝶が飛んでいました。

<城跡に咲いていたヤマユリ>

Yamayuri

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2010年1月17日 (日)

工場正門の横にある別の門

川崎の工場正門の横にある小さな別の門。

工場の敷地内にあるけれど、これは立派な食堂兼居酒屋の門。

以前は、工場内から出入りできるようになっていましたが、今はその店に付随する?ATMコーナーのみ工場内から入ることができ、店には工場の外からしか入いることができないようになっています。出るのも同じで、工場の外に開いた、この小さな門からしか出られません。この店は、工場の構内バスの停留所横にあって、以前はその構内バスの停留所横に出入口があって、そこから出入りできました。しかし、最近はその出入口がふさがれています。

だから、工場にいて昼飯をここで食べる場合は、一旦工場から出て店に入り、また店から出て工場の正門から戻ることになります。工場の外に出るときと、入る時は社員証を保安に提示するのが義務付けられており、また「ご安全に」とあいさつもするのが慣例になっています。

Waigaya

しかし、通常は昼食は弁当であり、ここを使っている殆どの人は協力会社でスポット的に仕事をしに来た人、あるいは弁当の注文を何かの事情でしなかった人に限られ、昼飯時に行列を作ったとしても東京の本社ほどではありません。

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2009年2月15日 (日)

東葛地方で中世城郭発見か (続報)

主題の件について、鋭意探索中です。

詳しくは、夜霧の古城をご参照願います。

「夜霧の古城」:東葛地方で中世城郭発見か (続報)

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2009年1月18日 (日)

東葛地方で中世城郭発見か

かねて、中世城郭を調査していた東葛地方の某市において、先日千葉県文化財関連の研究者某氏と某市学芸員の方、および言い出した地元の方と郷土史研究の方々とともに、その中世城郭の遺構らしきものの踏査に行きました。

主郭と思われる郭は台地上にあって、一辺が40mから50mほどの方形であり、土塁、空堀、虎口、土橋を備えています。虎口は北にむいて開き、西側が入江状の低湿地を望む場所にあって、縁辺の土塁の下は切り岸か急になっていて、台地中腹に腰郭らしきものがあります。

<主郭らしき郭の周りを取り巻く空堀と土塁>

Kakunai

主郭らしき郭の東側の空堀は深く、人の腰ほどもありますが、落ち葉などの堆積を考えると、実際は3mとかあったかもしれません。

正確に計測はしていませんので、詳しい数字が出ていませんが、主郭はほぼ正方形に近い形と思われます。

西側は竪土塁のようなものを残して、切岸があり、腰郭状になっている平場の北側にさらに土橋があって、小さな郭(物見用か?)と連絡しています。土橋は比較的高く作られ、人が一人通るのがやっとというような幅しかありません。小さな郭の北側にはさらに溝がありますが、それが竪土塁に付随する空堀のあとか、近世以降に作られた溝または道路かは不明です。

<土橋は一人通る幅しかない>

Dobashi

主郭らしき郭の周囲を取り巻く土塁は比較的しっかりしていて、幅が1.5mほどはあり、上に乗って歩いてもびくともしません。版築構造になっているのでしょう。ぐるっと土塁の上を歩くと、最初入ってきた虎口の場所に出ます。

一応ここは『千葉県所在中近世城館跡詳細分布調査報告書』にも出ていますが、「消滅」扱いになっています。これは新年早々に新発見かな。

<土塁の上をいく>

Doruiue

小生の推理では、西側にある池を伴う入江状の低湿地は、中世にはもっと広範囲に水をたたえた場所で、船着場あるいは船隠しがあったのではないかと思います。

多分、この城もその船着場を利用して、水運によって手賀沼、印旛沼(印旛浦)とつながり物資を移動させていた勢力が船着場を守るためにつくったか、何かと思います。

虎口が平虎口で、腰郭や切岸以外に目立った防御設備がないことから、戦国初期以前の城跡かもしれません。

なお、近くには塚もあり、ほかに土塁もありますが、城跡との関係などは不明です。というより、城跡の主や、近くにある城跡との関連も不明です。

文化財関連の方からは、正確な位置を確認し、縄張り図を描くように指導がありました。小生縄張り図が苦手でありますが、この際下手でも協力せねばならないようです。

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2008年12月30日 (火)

最後まで忙しかった今年

今年は、最後まで忙しく過ごしました。

世の中は、不況とか言っていますが、実感がありません。何か遠い世界の話のように聞こえますが、現実にトヨタあたりは派遣社員だけでなく、協力会社も契約期間がくると、再契約せずに終了というのが増えているらしいです。

<東京駅前八重洲付近>

Taketoyo

小生の会社のほうも、西日本で高炉を一基止めるのですから、会社には影響があったのは事実だと思います。しかし、もともと改修しようとしていたものを前倒しにするだけで、計画を早めただけともいえます。アメリカの金融不安で株価が下がったのは、日本の産業が衰退したとかが原因でもなく、不況だと、不況だと騒ぎ過ぎるのもどうかと思います。

全世界が不況でもなし、何か探せば仕事のネタはあるものです。日本で仕事がなければ、海外にいけば色々転がっています。

自分はといえば、ある大きなプロジェクトを担当することになり、西へ東へ何度か出張したり、通常ないようなことで頭を悩ませたりしましたが、秋ごろから別の企画的なテーマにも従事するようになりました。その企画業務もまた全国規模の話でしたが、無事に話が進みましたので、来年からその仕事を継続することになりました。

また、来年も初日から忙しくなりそうです。世の中は不況かもしれませんが、あまり自分には関係ないと思って来年も過ごすつもりです。

<JR武豊駅にとまっている電車>

Taketoyo

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2008年12月17日 (水)

TV番組に偶然出た親戚の家

最近、ある旅番組で、小生の親戚の家に有名人が泊まるという椿事がありました。

群馬県の片田舎の街道筋で、なぜか宿泊希望のお医者さんは、子供たちの遊びに興味津々、やがて日は暮れて泊まる場所を探して慌て出し、5軒くらい断られてたどりついたのが、小生の親戚の家。

二つ返事でOKしたのは、人の良い証拠と思いますが、小生の親戚には義理人情を重んじるような人が多いのも事実。実は、その田舎は父方の実家の近くで、「鉄砲屋」という屋号のその家と、父方の祖父などはかなり親しかったのですが、親戚としては母方の親戚です。確かにあのあたりで、突然来た人を泊めるような、ある程度大きな家は、「鉄砲屋」くらいしかないかもしれません。なお、「鉄砲屋」はダイナマイトの火薬などを扱っていて、鉄砲の火薬も売っていたので、そう呼ばれていましたが、昔のショーウインドー?はいまだに残っていました。

逆に母方の本家の近所に、父方の親戚がいたりと、入り組んでいて、小生も全部の親戚をわかっておりません。

それにしても、珍しいこともあるもんで、TVカメラを通じてみた父方の田舎も相当変わっており、文化財に指定されたという父が卒業した小学校の廃校は映らず、小学校としては父の記憶にない別地区の学校が映ったのみでした。

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