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2007年9月27日 (木)

北小金に秋を見た(付記:「下総地方の城」の「松戸地域の城」を加筆修正しました)

先日、北小金を久しぶりに訪ねました。所属している会の史跡めぐりのイベントを企画しており、同じ会のUさんと東漸寺や根木内城をまわりましたが、東漸寺で土手の上に彼岸花が咲いていました。東漸寺は、雰囲気が落ち着いていて、なんとなく心ひかれる良い寺です(もちろん、あじさい寺で有名な本土寺も良いですが)。根木内城も、東漸寺も室町、戦国と当地を治めた高城氏の関連史跡なのですが、高城氏にスポットをあててもどうかと思うので、小金の中世から近代とか、単純に北小金の史跡めぐりとしたほうが良いでしょうな。

小生としては、根木内城と東漸寺だけで良いのですが、それではコースとしてまわる箇所が少なすぎるということで、後日駅の北側の小金大谷口城址などを一人で回ってきました。達磨口は感動的、といっても「こんなおおきな土塁が・・・」ということで感動する人は、小生も含めて少数派?小金大谷口城址以外には、小さい寺ですが慶林寺をまわろうかと思っております。

慶林寺の裏にある鹿島神社の境内にも、彼岸花が咲いていました。鹿島神社は千葉では香取神社に比べると少ないようです。それがなぜ、小金にあるのかも小生の知るところではないのです。しかし、小金大谷口城址と高城胤吉の妻桂林尼の墓のある慶林寺をコースに加えると、ますます高城氏ゆかりの史跡めぐりになってしまいます。まあ、小金宿もまわれば、少しは中和されるかな。

このようなコースであれば、一通りのアバウトな説明なら、小生でもできるのですが!

なお、今回色々Uさんから教えてもらったり、自分で調べた結果、小生のHPの「下総地方の城」のなかの「松戸地域の城」の頁でいくつか古い説をベースに書いている部分など、不備が見つかり、遅ればせながら修正しました。

<鹿島神社で見つけた彼岸花>

Higanbana1

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2007年6月 3日 (日)

徳川家康と知多半島の一部記事をHPからリンクしました

「徳川家康と知多半島」という記事をずっとブログ「夜霧の古城」に書いておりましたが、ブログでは一覧性がなく、「古城の丘にたちて」HPから整理した形でリンクしようと、まずは桶狭間合戦関連のリンクを張りました。

最近、桶狭間合戦について書いていますと、その筋の専門家?らしき人から質問されたり、桶狭間古戦場まつりに行けば、小生のブログを見たという人がわざわざ東京から来ていたりしました。ブログというと最初オタク的なイメージがありましたが、まあ作り方次第で、如何様にもなるようで。

<家康所縁の岡崎の大樹寺>

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2007年3月 9日 (金)

「下総地方の城」の箕輪城の記述を一部修正しました

「下総地方の城」の柏沼南地域の城のなかにある、箕輪城に関する記述を一部修正しました。

これは去年の踏査の際に案内していただいた方から、別件で指摘を受けたためです。

主な修正点は、①従来7郭あるとしていたのを確認できるのは5郭まで、②第3郭の南東低地の小道が船着場のあったであろう、台地南に続いていたというような記述を、同所で「硬化面が発見され、もしそれが台地南の低地につながる小道の一部であれば、かつては台地南側か南東側の手賀沼の入江の名残りである小支谷に沿って、船着場があった可能性がある。」とした修正で、少し抑えた記述にしました。

この間の鷲野谷の歴史散歩には参加できましたが、最近また忙しくなり、自宅にもなかなか帰ることができず、愛知の片田舎の仮住いに閑居する日々が続いています。今度、河和城址にでも行ってくるかな。

<箕輪城址の第1郭南の堀底から土塁を登る>

Minowajyo

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2007年2月 6日 (火)

「下総地方の城」の「小弓城と生実城」の表現を改め、「南生実城と北生実城」としました

最近の発掘調査の結果、従来「小弓城」として原氏の本拠だったとされる南生実城が戦国時代はじめの永正14年(1517)武田氏に落とされて、その後、原氏が当地に復帰した後、北生実に原氏が「生実城」を築いたという定説が崩れ、北生実の城も1460年頃からあったことが分かっています。そのため、「下総地方の城」の「小弓城と生実城」という従来の表現は適当でないことから、これを改め、「南生実城と北生実城」としました。

また記述内容も、若干修正しました。

<北生実城の近くにある生実池>

Oyumiike

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2006年8月26日 (土)

「数字と地名」の頁の内容を少し拡充しました

「数字と地名」の頁の内容を少し拡充し、「船橋市の二宮神社の謎」として、成田市土室の祥鳳院の鐘の銘文が二宮神社のために鋳造したと刻されており、なにゆえ二宮神社(実際は別当寺)の鐘が成田にあるのか、などといったことなど、記載しました。

<二宮神社を中心に行われる三山の七年祭りの一こま>

Miyamazen6

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2006年8月17日 (木)

サイト合計のアクセスが2万を越えていました

2006年8月17日早朝時点で、「古城の丘にたちて」HPに対するアクセスが2,653、その他ブログ等へのアクセスが 19,027 、合計すると21,680と、いつの間にか「古城の丘にたちて」サイト合計のアクセスが2万を越えていました。ブログでアクセスが多かったのは「夜霧の古城」で5,583、そのほか「路傍の石仏、道祖神・性神」が4,160などでした。

しかし、この4月から小生が手伝って開設した親戚の「千葉県の戦争遺跡」が2,660のアクセスと、「古城の丘にたちて」を抜いてしまっているのが気にくわないのではありますが。兵男さん、これからは自分で更新してね。

<琵琶湖 「唐崎の松」付近>

Karsakimatsu

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2006年7月30日 (日)

HPに「数字と地名」という頁を新設しました

「古城の丘にたちて」HPに、「数字と地名」という頁を新設しました。

城址と地名の関連については、以前HP本文などで述べている部分もありますが、地名そのものにスポットをあて、例えば数字のつく地名などについて述べようとしております。

手始めといっては何ですが、最近ようやく京都の「三哲」という地名について、その由来が分かり、そのことについて書いています。

実は三哲とは人の名前だったわけですが、三から始まる地名も多いですね。三宮、三島、三軒茶屋、三宿、三山、三次、三春、三戸、思いつくだけでも、これくらいはあります。三河安城とか言い出すと、きりがありません。

以下は、HPの今回の記事では(季節も違うし)使う機会がなかった金閣寺の写真。自分で撮ったのは間違いないのですが、余りにも前過ぎて、何時撮ったか覚えていません。たしか金閣寺が再建されたときだったか。

<お馴染みの金閣寺>

Kinkaku2

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2006年6月19日 (月)

HPのトップページを改造しました

HPのレイアウトでリンクをトップページにつけていましたが、多くなってきたので、別にリンク集のページを作り、そこからリンクするようにしました。

また、トップページ、「下総地方の城」のページで、開くと自動的に音楽が鳴り、止められない設定になっていましたが、音楽を止めるためのボタンを設置しました。

しかし、昨日のワールドサーカー クロアチア戦で、日本は引き分けました。小生別に何とも思いませんでしたが、悔しがる人が多いようで、いつの間に日本人はそんなにサーカーファンだらけになったのか不思議です。

17年ほど前、イタリアに行ったとき、ちょうどFIFAワールドカップの準備で、ローマ近郊のスタジオ・オリンピコも改修中だったのですが、ガイドさんからヨーロッパは野球よりサッカーが盛んだと聞き、同行した人たちも「ふーん」という感じで聞いていました。

そのころから、何時の間にか日本人の趣味嗜好も変わったのか、皆サッカー一辺倒です。しかし、皆が一斉に何かに傾くというのは、あまり良い気持ちにはなれません。

<ローマ・スペイン階段>

Rome

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2006年6月14日 (水)

船橋城址があった船橋市市場で戦争中操業していた鴨川ニッケルの事故の日付を訂正しました

「下総地方の城」の「船橋大神宮、夏見御厨と中世城館」にある船橋城の記事に関連して、同城址があった船橋市市場で戦争中操業していた、鴨川ニッケルの事故の日付を訂正しました。

鴨川ニッケルとは、千葉県鴨川町で産する蛇紋岩のニッケル原石を製錬して、ニッケルにし、飛行機部品などとしていた会社です。

昭和15年(1940)に船橋の地で操業を始めたのですが、事故の日付と取り違えており、実際の溶鉱炉の爆発事故は昭和18年(1943)1月10日に起きておりました。去年から長期にわたり誤った記載をしていたことを、ここにお詫びするとともに、訂正しましたことを公表します。誤りに気付いたのは、市場にある城の腰の松の写真を拡大したところ、並んで建っている鎮魂碑の説明板をよくみたら、昭和十八か十六とみえる年が書かれていたため。

この件に関しては、船橋市郷土資料館の山口学芸員に動いてもらい、船橋市立図書館の綿貫啓一氏(郷土史家でもある)から的確な情報を頂き、すぐに朝日新聞の昭和18年1月11日版に事故の記事があることが判明しました。住んでいる町の図書館にはなかったので、半田の図書館で新聞を書庫から出してもらい、コピーをとった次第。

小生のHPの訂正から分かった鴨川ニッケルの件の詳細については、森兵男(もりたけお)の方でつくっているHP:「千葉県の戦争遺跡」に記載しましたので、もしご興味のある方は、以下を参照してあげてください。

「千葉県の戦争遺跡」のアドレス http://members.goo.ne.jp/home/mercury_mori

上記の「千葉県の戦争遺跡」メニューの下、「船橋の戦争遺跡(鴨川ニッケル)」が該当記事です。

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2006年5月30日 (火)

「下総地方の城」に「小弓城と生実城」を追加しました

「下総地方の城」に「小弓城と生実城」を追加しました。

生実は新入社員のときにいた製鉄所に近かったのですが、若い頃は城址には余り興味がなく、その後も小弓城については有名ですので知っていましたが、ずっと北生実の池の近くの城というイメージがあり、小弓城と通常いわれているのは南生実にあることは、この数年で知った次第。

今回も、計画性なく出張のついでに行ってしまった小生は、埋蔵文化財センターの皆さんのご厚意で、資料をもらうだけでなく、何と言う方か名前も聞きませんでしたが、学芸員の方にいろいろ教えていただきました。本来は、城址を見た後に御礼を申し上げるべきところ、時間があまりなく、そのまま失礼してしまいました。

近隣の方にも、ケヤキの大木のある旧家の方、またそのご近所の古老の方には、妙見神社の場所を教えて頂きましたが、お騒がせしました。

しかし、帰りのバスのなかで見た「スナック 溶鉱炉」の看板、25年以上前にあったのを記憶していますが、ネーミングも変えずにまだあるのか・・・と感心しました(写真を撮ろうとしましたが失敗しました)。

<小弓城主郭北側の土塁痕~木の茂った辺りは明瞭に残る>

Oyumi2dorui

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