« 市川市国分の二つの城館址 | トップページ | 三山七年祭考 »

2005.02.19

臼井城址近くの情景

臼井城は、やはり下総地方の城のなかでも、有数の優れた城であった。残念ながら主郭部分とそれを取り巻く空堀以外の遺構はほとんど残っていないが、主郭である第1郭の台地上小高くなった部分から北へ円応寺の境内に至る斜面に、数多くの腰郭が段々をなしている様子や、空堀の深さなど見所もあり、雄城の感がある。

<臼井城址の第1郭からみた印旛沼>
usui_imba

その臼井城址のある臼井には、「臼井八景」という景勝の地がある。印旛沼を取り巻く風景は、琵琶湖を背景にした近江八景と共通するものがある。これは臼井の隠士、臼井信斎と円応寺の住職宗的が、中国北宋の瀟湘八景にならい、元禄11年(1698)に選定した景勝の地である。「臼井八景」とは、その情景をあらわす和歌とともに列記すると以下の通り。

「舟戸夜雨」 漁する舟戸の浪のよるの雨 ぬれてや網の縄手くるしき
「遠部落雁」 手を折りてひとつふたつとかぞふれば みちてとをべに落つる雁がね
「飯野暮雪」 ふり積もる雪の夕べを見ぬ人に かくといひののことの葉もなし
「師戸帰帆」 もろ人の諸戸の渡り行く舟の ほのかに見えてかへる夕くれ
「瀬戸秋月」 もろこしの西の湖もかくやらん には照る浪の瀬戸の月かげ
「城嶺夕照」 いく夕べ入日を峰に送るらん むかしの遠くなれる古跡
「光勝晩鐘」 けふも暮れぬあはれ幾世をふる寺の 鐘やむかしの音に響くらん
「州崎晴嵐」 ふき払ひ雲も嵐もなかりけり 州崎によする波も静かに

<夕暮れの師戸城址から見た臼井>
moroto

「城嶺夕照」の景色を見ようとした訳ではないが、2003年6月のある日の夕方、臼井城址を訪ねた筆者は、星神社に参じて帰路につこうとした。その時、後ろから勢いよく自転車で星神社の社殿前に乗りつけ、お参りをしていった中学生と思しき青いジャージを着た日焼けした少女がいた。臼井城の興亡は、遠い歴史の彼方のこととなったが、先人の残した思いや慣わしは、今も息づいている。

<臼井城址近くの星神社~臼井原氏の創建と伝える>
usui_hoshijinnjya

|

« 市川市国分の二つの城館址 | トップページ | 三山七年祭考 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 臼井城址近くの情景:

« 市川市国分の二つの城館址 | トップページ | 三山七年祭考 »