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2005.08.30

数字と地名

数字のついている地名は、どういういわれがあるのだろうと想像することがある。
数字を冠する地名はいろいろあるが、例えば東京23区でサンプルを拾ってみる。七で始まるのが、見当たらないが、東京23区だけで、下記のようにある。

一ツ木 一ツ橋 一ツ家(足立) 一之江(江戸川) 
二子玉川 二葉(品川)
三崎町(神田) 三原 三田(港・目黒) 三栄町(新宿) 三ノ輪 三宿 三軒茶屋 三園(板橋) 三好(江東) 三筋(台東) 三原台(練馬) 
四つ木 四谷 四葉(板橋) 
五反田 五反野 五本木(目黒)
六本木 六郷(大田) 
七??
八重洲 八丁堀 八雲 八幡山 八広(墨田) 八潮(品川)
九段 九品仏
十条
二十騎町(新宿)
百人町(新宿)
千代田 千駄木 千駄ヶ谷 千川 千住 千歳台 千束(台東・大田) 千早(豊島) 千鳥(大田) 千田(江東) 千石(文京・江東)

東京23区の例にはないが、一宮、二宮とか、単純な連続番号で一、ニ、三とついているのは分かりやすい。六本木のように、六本の木があったのだろうとか、三軒茶屋とは三軒の茶屋があったのだろう、というような地名もいわれを想像しやすい。

日本全国について考えると、単純な連続番号が付いている典型が、京都の通りの名であろう。これは東西に走る通りの名が、北から、一条、二条・・・と付けられているし、南北に走る通りの名を覚えておけば、街中のある地点が、たとえば四条通りと烏丸(からすま)通りの交点であれば、四条烏丸といった具合に、場所も特定しやすい。

<四条木屋町の一角>
shijyo-kiyamachi

勿論、東西に走る通りも、かつての条坊制による○条通り(あるいは大路)というものだけでなく、細かな△△小路や▲▲道というものがある。私が京都でよく利用していた京阪三条駅近くの縄手通りにある力餅食堂も、縄手通りから新門前通りの入り口との角地にあるが、住所も東山区縄手新門前角という分かりやすさである。ちなみに、門前とは八坂神社の門前町ではなく、知恩院の門前町という意味で、新門前通りも古門前(ふるもんぜん)通りも骨董街であるが、どちらも京都らしい景観の残る通りである。
要は東西、南北の通りの名さえ覚えれば、大体の住所は見当がつくというものである。それで、京都の人はよくしたもので、通りの名を覚えるための童歌もある。

<縄手通り(手前)と新門前通り(左)の角にあるレトロな雰囲気の力餅食堂>
sanjyou-monzen

例えば、東西の通りの名を示す、有名な「丸竹夷」は、以下の歌詞である。

丸 竹 夷 ニ 押 御池
姉 三 六角 蛸 錦
四 綾 仏 高 松 万 五条
雪駄 ちゃらちゃら 魚の棚
六条 三哲 通り過ぎ
七条 越えれば 八 九条
十条 東寺で とどめさす

まるたけ えべす に おしおいけ
あねさん ろっかく たこにしき
しあやぶったか まつまん ごじょう
せきだ ちゃらちゃら うおのたな
ろくじょう さんてつ とおりすぎ
ひっちょう こえれば はっくじょう
じゅうじょう とうじで とどめさす

筆者が覚えていたのは、上記の歌詞である。
丸とは丸太町(まるたまち)、竹とは竹屋町(たけやまち)であり、夷とは夷川(えびすがわ)のことである。
次の二は二条(にじょう)通りであるが、なぜ二条からで一条がないのかといえば、御所があるので憚ったのかもしれない。押しは押小路(おしこうじ)、御池はそのまま御池(おいけ)。
次の覚えやすい姉三六角蛸錦の姉は姉小路(あねやこうじ)、三は三条(さんじょう)、六角は六角(ろっかく)である。
この六角は佐々木六角氏の名字の起こりになった。蛸は蛸薬師(たこやくし)、錦は市場で有名な錦小路(にしきこうじ)である。
次に四は四条(しじょう)、綾は綾小路(あやのこうじ)、仏は仏光寺(ぶっこうじ)、高は高辻(たかつじ)で、松の松原(まつばら)、万の万寿寺(まんじゅうじ)に五条(ごじょう)と続く。
さらに雪駄は雪駄屋町(せきだやまち)であるが、現在は楊梅通りになっている。この辺りに来ると、ぐっと庶民的になり、魚の棚(うおのたな)に、ちゃら=鍵屋町(かぎやまち)、ちゃら=銭屋町(ぜにやまち)と軽快な金属音が響く、職人や商人の町という雰囲気である。
その次の六条(ろくじょう)、三哲(さんてつ)から、通りの順番が南北に並んでおらず、三哲は七条(ひっちょう)の次なのでは。京都駅前からバスにのると、すぐに三哲のバス停がありましたっけと思い出すほど、三哲と八条(はっちょう)は近く、どう考えても六条ではなく、七条の南にある。この三哲自体、どういういわれのある地名なのかが分からない。なお、三哲通りとは、今の塩小路のことだそうだ。
また、八条(はっちょう)の次が九条(くじょう)であるのは良いが、何で十条(じゅうじょう)、東寺で最後なのだろうか。関西に住んでいた頃、筆者は弘法市や東寺の南門近くで開かれる骨董市に行く時は、バスで九条大宮で下りていた記憶があるが、やはり東寺は九条である。九条通り沿いには、平安京の南限である羅生門址があり、かつては九条までしかなく、十条通りができたのはそれほど昔のことではない。九条では、京野菜の一つである九条ねぎが栽培されていたのだから、昔は市街地から離れた農村地帯が、九条以南には広がっていたのであろう。今は、交通量も多く、立派な十条通りはあるし、十条の駅もあるが。
十条通りは、明治以降に作られた道路であり、したがってこの歌も明治以降に作られた歌である。といっても、室町時代からの伝承資料に京の縦横の通りの名を書いたものがあったらしく、謡曲『便用謡』の「九重」にも同様の京都の縦横町区名がみられるなど、古い資料や謡曲をもとに、明治の頃に「丸竹夷」は作られ、広く歌われるようになったのであろう。

<三条大橋から四条方面、鴨川を望む>
sanjyou-kamogawa

なお、この歌にはニューバージョンがあり、それは以下の歌詞である。

丸 竹 夷 ニ 押 御池
姉 三 六角 蛸 錦
四 綾 仏 高 松 万 五条
雪駄 ちゃらちゃら 魚の棚
六条 七条 通り過ぎ
八条 越えれば 東寺道
九条大路で とどめさす

まるたけ えべす に おしおいけ
あねさん ろっかく たこにしき
しあやぶったか まつまん ごじょう
せきだ ちゃらちゃら うおのたな
ろくじょう ひっちょう とおりすぎ
はっちょう こえれば とうじみち
くじょうおおじで とどめさす

この歌詞では通りの名が北から順に並んでおり、上記のような矛盾もない。十条は登場しておらず、かつての京都の範囲に収まっている。

さらに「丸竹夷」には替え歌があり、それは以下の歌詞である。

坊さん頭は丸太町、つるっとすべって竹屋町、
水の流れは夷川、二条で買(こ)うた生薬を、
ただでやるのは押小路、御池で出会うた姉三(さん)に、
六銭もろて蛸買うて、錦で落として四(し)かられて、
綾(あや)まったけど仏々と、高(たか)がしれてる松(ま)どしたろ

「まどしたろ」は京都弁で「弁償しようか」という意味である。これも、「姉さんに六銭もろて」というあたりに時代を感じさせる替え歌である。

<おなじみの東寺五重塔>
toji

本来連続しているのに、連続せずに、いきなりある数字が付いた地名は、良く分からない。実際には一宮も二宮もあるが、三宮という地名がクローズアップされている神戸の三宮は、何で三なの?と思ってしまう。
この三宮は、生田神社の一宮神社から八宮神社までの裔神八社の一つである三宮神社に由来する。伝説によれば神功皇后が摂征元年2月に朝鮮半島へ出兵した帰りに、敏馬の浦(現在の神戸)で船が進まなくなった。そのおり神功皇后に、稚日女尊(わかひるめのみこと)が降臨、ご神託あって、それにより稚日女尊を祀ったのが生田神社のはじまりで、生田神社を囲むように八社が建てられたという。神戸は、もともとは神戸駅周辺を中心に繁華街があったが、いつしか東寄りの現在の三宮・元町辺りが、華やかな場所になった。それで神戸といえば、三宮が中心のようなイメージがあるが、元は八つの神社の一つに由来する小地名であったのである。このように由来を知れば、納得できる。
実は、筆者が現在住んでいる船橋市にも、二宮神社という神社があるが、この周囲に数字がつくのはこの神社きりで、一宮神社というような名前の神社は近くには存在しない。明らかに二宮神社からついた地名として、周囲には二宮という場所(かつては二宮町であった)があり、二宮小学校、二宮中学校もある。但し、二宮神社のある場所は、かつては二宮町三山であったが、二宮町が船橋市に併合されてなくなったため、現在は船橋市三山である。三山は、宮山か御山が転じたらしいが、二宮の二から三山の三にカウントアップしているのが面白い。しかし、二宮神社が、なぜいきなり二宮なのか、いまだに分からない。

<二宮神社>
miyama-01

そのほか、何でその数字がついているのかよく分からないものがある。先ほどの「丸竹夷」にあった三哲もそうであるが、例えば名古屋に八事(やごと)という地名がある。これは、八の日毎に市がたったとか、琴の名手の老人がいたとか、諸説あるそうであるが、確たる由来が分からない。

別に大きいことは良いことでもないが、大きな数字がついた地名では、千葉などはもっともポピュラーな部類であろう。だが、なぜ千の葉っぱなのだろうか。葉っぱでは迫力に欠けるし、森や林にいけばたくさんあるではないか、と思ってしまう。千田とかなら、広い田があって豊作になるようになど、願望もこめてつけられたと分かりやすいが。
千より大きい単位の万となると、万場や万代とかがあるが、少ない。万に対して、四万温泉の四万は四倍だ。かすかに大きいのは四国の四万十川の四万十か。しかし、なぜ四万と十なのだろうか。四万とびとびの十である。
大きな数字で最たるものは、京都の百万遍であろうか。千や万でもなく、何しろミリオン、百万である。但し、これは正式な地名ではなく、百万遍知恩寺から来ているのだそうな。京都だけあって、地名にもお寺や仏教用語が登場してくるのである。それ以上の千万や億のつく地名は聞いたことがない。新地名ではあるかもしれないが。
いや京都自体が、大きな数字のついた地名の最たるものかもしれない。なぜなら、京(けい)なのだから。

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