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2005.09.03

地獄に仏

六道絵というものがある。六道、すなわち地獄道、餓鬼道、畜生道、阿修羅道、人道、天道(天上道)という、地獄から天道にいたる各界の姿を描き出したもので、仏教画のひとつである。
では六道を形成する各界とは何か。地獄道は、文字通り阿鼻叫喚の世界であり、血の池や針の山があるだけでなく、無間地獄のような苦しみの絶えることがない世界、餓鬼道は食べ物を食べようにもすぐに炎に変わり、食べられないとか、そこの住人は手足が極端に細く腹が異様に大きい餓鬼(実際に餓死した人の姿をうつしたものか)などとなっている世界。畜生道は牛馬のような家畜として人からこき使われたり、猟師に追われたり、動物同士でも弱肉強食で気の休まることのない世界。阿修羅道は年中戦争をしている、不穏な世界。人道は通常の人間界。天道は天人が住むという苦の少ない世界で、極楽と人間界の中間のような世界か。

<六道絵(江戸時代の模写)~滋賀県大津市下坂本の聖衆来迎寺にて>
rokudoue

このうち、天道に生きる者でさえ、いつかは寿命がつき、六道のどこかに輪廻しなければならないという悩みを抱えており、六道の全ての者が救済を必要とするのである。京都にある「六道の辻」の六道とは、この六道である。六道のどこかに、輪廻転生するという考え方を仏教は持っている。そして、六道輪廻の衆生は、何かしら苦しみを持っているが、それを救うのが地蔵菩薩であるという。そういえば、よく六地蔵が寺などにあるが、この六道にいる衆生の救済をすることを示している。地蔵が手に持っている錫丈は、六道を廻るためで、お遍路さんを思わせるいでたちである。

<神戸 須磨寺の六地蔵(後姿)~現代作>
suma-jizou

六道といっても、今のような豊かで平和な世の中に生きる身からは、地獄や餓鬼道などは現実感がないが、人の世のはかなさ、辛さ、苦しさは古来、詩や歌にもなって、我々の共感するところとなっている。
例えば、もう30年も前になるが、高校時代の漢文の時間に漢詩で「碩鼠」というのを習ったが、その時は変なタイトルの漢詩というのと、「せきそおー」と語尾を伸ばす漢文教師の吟じ方が印象に残っただけであった。しかし、その漢詩については、年を経て内容が実感をもってよく分かるようになった。

碩鼠碩鼠 無食我黍
三歳貫女 莫我肯顧
逝將去女 適彼樂土
樂土樂土 爰得我所

碩鼠碩鼠 無食我麥
三歳貫女 莫我肯德
逝將去女 適彼樂國
樂國樂國 爰得我直

碩鼠碩鼠 無食我苗
三歳貫女 莫我肯勞
逝將去女 適彼樂郊
樂郊樂郊 誰之永號

(書き下し)     

碩鼠  碩鼠
我が黍を  食う なかれ
三歳 汝に つかうれども
我を 肯えて顧るなし
逝きて 将に 汝を 去り
彼の 楽土に 適(ゆ)かんとす
楽土 楽土
ここに 我が所を 得ん

碩鼠  碩鼠
我が麦を 食う なかれ
三歳 汝に つかうれども
我を 肯えてめぐむなし
逝きて 将に 汝を 去り
彼の 楽国に 適(ゆ)かんとす
楽国 楽国 
ここに 我が直きを 得ん

碩鼠  碩鼠
我が苗を 食う なかれ
三歳 汝に つかうれども
我を 肯えていつくしむなし
逝きて 将に 汝を 去り
彼の 楽郊に 適(ゆ)かんとす
楽郊 楽郊
誰か ゆきて とこしなへに 號(さけ)ばん

これは詩経にある、古代中国農民の悲哀に満ちた詩であり、碩鼠は大きな鼠、実は自分の仕える領主あるいは地主を示し、長年仕えてきたのに、俺たちを気にかけてくれることもなく、黍や麦などの年貢を取る一方である。もう、重税を課すのは止めてくれ、お前を見放して楽土に行くぞ。そこで悠悠自適に暮らすのだ。というような意味である。
古代では、碩鼠は王であり、貴族であり、また中世では碩鼠は在地領主や守護、地頭であり、近世から近代では大名であっただろう。現代の碩鼠は、大企業だろうか。今井正監督の「武士道残酷物語」という映画を見たことがあるが、島原の乱で主君の失態の責任をかぶって切腹した武士の話から始まって、主人公の歴代の先祖が「武士道」精神の犠牲になっていく様子を描いていた。支配者はさまざまに形を変えてきたが、支配するものと支配されるもの、抑圧するものとされるものの構造は、時代を通じて変わっていないのかもしれない。これこそ、まさに無間地獄といったら、大袈裟だろうか。
六道輪廻というが、古代から時代は下って、宋の時代になっても、同じような詩が書かれている。
これは江蘇民歌(中国江蘇地方の民謡)となり、第2次大戦直後に「一江春水向東流」という映画の挿入曲となったため、原文とは大分違っていると思われるが、「月兒彎彎照九洲」というのがある。

月兒彎彎照九洲 
幾家歓楽幾家愁
幾家高楼飲美酒
幾家流落在野呀嗎在街頭
依呀呀得喂
聲聲叫不平
何時才能消我的那心頭恨

この歌詞は、月は遍く全国を照らすのに、贅沢をして楽しんでいる家もあれば、貧窮して路頭に迷っている家もある、全く世の中は不公平だというような意味である。これも、田畑を失い、路頭に迷った貧窮農民の恨みの歌であり、中国革命前夜で脚色されているとはいえ、その不平不満、思うにまかせない憤りは、いつの世も変わらないといえるだろう。まさに、仏教の六道世界の苦しみは、代替わりしても絶えることがない。

前述の通り、この六道の世界に救いの手を差し伸べる仏は、地蔵菩薩である。実は地蔵菩薩は、釈迦如来が入滅した後、後継の弥勒菩薩が如来として登場してくるまでの56億7千万年もの無仏の期間、中継ぎをするのである。よく墓地や寺の境内にある六地蔵(延命地蔵ほか)は、六道輪廻の衆生を救うという地蔵の本質を具現化したものであり、煩悩深い、俗世に未練たっぷりな普通の人々にとって、地蔵菩薩はありがたい存在である。
そして、釈迦も弥勒も、民衆にとっては近寄りがたい、遠い世界の仏というイメージがあるが、56億7千万年ものロングリリーフをする地蔵菩薩は実にフレンドリーである。信仰の対象としては最高であるが、釈迦如来や大日如来たち、如来という仏は、余りに偉過ぎる。
かといって明王はというと、容姿からしてちょっと異様で、一面二臂(顔が一つで腕が二本)と人間そっくりで顔が怖いだけの不動明王は別として、一面六臂で三つ目の愛染明王、三面六臂の金剛夜叉明王、三面八臂の軍茶利明王や降三世明王は人間離れしており、大威徳明王にいたっては六面六臂六足で牛にまたがっているという奇妙な姿である。孔雀明王は穏やかな表情をしているし、姿も一面四臂で比較的人間に近いが、孔雀に乗れる身軽さは何だろうと思ってしまう。
菩薩は憤怒の形相をしている馬頭観音を除けば、弥勒や文殊菩薩、虚空蔵菩薩、聖観音、如意輪観音など、皆穏やかな顔をしており、特に地蔵菩薩は僧形で一番人間らしい。地獄からも救ってくれるという切実な願望を託する仏ということで、見た目だけではないが、地蔵菩薩が民衆から慕われるのがよく分かる。
また地蔵とは読んで字の如く、大地の恵みをつかさどる仏である。それゆえ、古代から人口の大多数を占めていた農民の生活感覚に密着していたともいえるであろう。その姿は一般的には剃髪の僧形で、左手に宝珠を持ち、大抵右手には錫杖を持っている。立像が多いが、坐像、半跏像もある。野の仏として、石仏となっているのは、やはり地蔵が多い。

<聖衆来迎寺の地蔵菩薩立像>
raigoji_jizou

よく絵画で描かれている地蔵は、賽の河原で赤子を救っている姿で、その手に持った錫杖に赤子がよじ登っているような絵柄が多い。
ところが、穏やかなはずの地蔵が、いかめしく甲冑を身にまとい、馬にまたがった勝軍地蔵というのがあり、戦国武将が剃髪し僧形になったのを思わせる。延命地蔵とか、子育地蔵なら、違和感はないのだが、勝軍地蔵は地蔵の本来の姿と矛盾しているのではと思えるが、多面性を持っているということか。
また、地蔵は閻魔の本地仏という。本地仏という考え方自体、本地垂迹説という、神道と仏教を融合させる日本独自のものである。一方で閻魔として人を裁き、他方で地蔵として救済するというのが一見矛盾しているように思うが、地獄の管理者として、閻魔と地蔵には表裏一体の関係があると昔の人は考えていたのであろうか。

<明和4年(1767)造立の地蔵~千葉市花見川区武石にて>
takeshi-jizo

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