« 知多半島、武豊から常滑と野間へ | トップページ | 犬山城主成瀬氏と船橋 »

2005.11.11

犬山城は日本の名城

犬山城は木曽川の右岸崖上、端正な天守閣が聳える日本の名城である。彦根城、姫路城、松本城とともに、国宝に指定されているが、そのうちで最古の城である。犬山城は天文6年(1537)に信長の叔父、織田信康によって築城されたというが、現存する天守閣は兼山城の天守閣の部材で建造されたというから、慶長年間(1600年頃)の建造と思われる。

<木曽川上の犬山橋から望む>
inuyama01

<木曽川沿いの道から>
inuyama3

<旅館街から>
inuyama1

犬山城は別名白帝城といい、比較的小さな城でありながら、木曽川沿いの低地から眺める姿など美しく、さすがに国宝に指定されるだけのことはある。犬山城が他の有名な城と異なるのは、個人の持ち物、具体的には尾張徳川家の附家老をしていた成瀬氏のものであることである。その成瀬氏の先祖、成瀬正成が尾張徳川家の始祖徳川義直の尾張入りに際して、平岩氏に替わって、義直の守役となり、三万五千石の犬山城主となったのが、元和3年(1617)であった。以来、代々の成瀬氏が城主となり、明治の廃藩置県を経て、明治24年(1891)の濃尾震災で天守閣東南角の付櫓などが壊れ、修復することを条件に再び成瀬氏の所有になって以降、現代にいたるまで犬山城は成瀬氏が所有してきた。
その成瀬氏と船橋は、実は関係がある。西船橋にある宝成寺は、犬山城主成瀬氏の江戸在勤時における菩提寺だったようで、寺には成瀬氏所縁のものがいろいろある。大きな墓があるだけでなく、寺の什器などにも。

<犬山城の門>
inuyama03

<犬山城の天守閣>
inuyama2

<天守閣内の武者隠し>

inuyama04

さて、犬山辺り、濃尾平野の奥の犬山から各務原にかけては、古くから開けていたらしく、大きな古墳もある。実は、先日11月6日(日)に犬山に行ったのも、東之宮古墳のシンポジウムが犬山の国際観光センター、フロイデであったからである。東之宮古墳は犬山の白山平(はくさんびら)の山頂にあり、多くの鏡や鉄剣などの副葬品が出土した貴重な遺跡であり、国の史跡に指定されている。山の麓に位置する妙感寺古墳とともに、付近を治めていた王の墓であるという。予定では、シンポジウムは、朝の10時から夕方16時までであったが、犬山城にも行きたかった私は、シンポジウムの方は昼過ぎで切り上げ、雨のなかを犬山城に向ったのである。なお、シンポジウムは無料で予約も不要、犬山市長やそうそうたる学者の人が出ているのにである。また、ずうずうしい私は、パンフレットを2部貰ってきたし、なんと犬山の皆さんは太っ腹なんだろう。

<東之宮古墳シンポジウムの様子>
IMG_0631

それはともかく、犬山城は何度来ても美しい。夕暮れの木曽川に天守閣が映える美しさを、犬山遊園方面から、鵜沼から何度となく見てきた。それだけでなく、内部に入ったものしか分からないが、天守閣の階段が急なのも変わらない。よく、昔の人はこんな階段を上り下りしていたものだ。コント仕立ての古い時代劇などで、階段から落ちるシーンがあったが、やはり本当に転げ落ちた人もいたのだろうか。

<天守閣 近影>
inuyama4

<天守閣から木曽川を見る>
inuyama02

<同、ツインブリッジ方面>
inuyama05

|

« 知多半島、武豊から常滑と野間へ | トップページ | 犬山城主成瀬氏と船橋 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 犬山城は日本の名城:

« 知多半島、武豊から常滑と野間へ | トップページ | 犬山城主成瀬氏と船橋 »