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2005.11.15

船橋の寺町周辺の石仏たち

船橋は、市役所の北東、本陣書店や中央図書館のある本町通りの南側の、かつての海岸近くの一帯が寺町と言われるように寺が集まっていたり、意外に仏様に縁のある所である。

<本町通りを南に入った街並み>
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実は、その寺町という、かつて九日市といわれた市街地に、特徴のある仏様がいるので紹介しよう。
まずは因果地蔵。因果と漢字で書くが、「えんが」と呼ぶ。「い」が「え」に訛る千葉弁であるが、「いんが」とそのまま発音するより、がありそうで良いかもしれない。
この因果地蔵があるのは、本町通りを南側へ川奈部書店の角を曲り、さらにその道を右側に路地を入ったところにある、海岸山圓蔵院という寺である。海岸山というくらいであるから、かつては海岸であったのであろう。願い事が叶うことで知られる石造地蔵尊が山門を入ったお堂の中にあり、願い事をかなえてくれる地蔵尊ということで受験シーズンなどは賑わうとか。なぜ因果という名前がついているかというと、侍女を強盗に殺された主人が、「何の因果で」と悲しんで立てたとか諸説あり、よく分からない。400年はたっている古い地蔵尊で、永禄元年(1558)に海から上がったとも言われており、昔は漁民達が漁の安全を祈ったとされている。また、江戸時代、船橋宿にいた、俗に「八兵衛」と呼ばれていた遊女が薮入りの際に、この地蔵にだけはまいることが許され、くつろぐ場所になっていたという。
写真を改めて見て気づいたが、堂の前にある二本の柱が釈杖の形をしているのが面白い。

<因果地蔵の圓蔵院>
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<圓蔵院の地蔵堂>  *2005/11/16追加
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また、この圓蔵院の近くに不動院という寺がある。ここは、船橋市の無形民俗文化財となっている飯盛り大仏で有名であるが、その由来は悲しい話である。船橋浦の漁場をめぐって、船橋の漁師と近隣の浦安、葛西辺りの漁師はたびたび紛争となった。船橋浦は三番瀬など、江戸前の恰好の漁場で、密漁も多く、漁業権を主張する船橋の漁師と周辺地域の漁師がよく争い、海上で争うことも多かった。特に文政7年(1824)には、一橋家御用の幟を押し立てて来た葛西の漁師と、船橋浦を守ろうとした船橋の漁師が衝突し、葛西の船に乗っていた一橋家の侍を船橋の漁師が殴ったことから大事となり、船橋の漁師惣代3名が入牢させられ、そのうち仁右衛門、団次郎の2名が獄死もしくは出牢後に病死した。その80年ほど前の延享3年(1748)津波の被害で落命した漁師たちの供養とあいまって、その牢の中で飯も満足に食べられなかった漁師惣代の苦労を偲んで、文政8年より大仏の顔に正月28日に飯を盛ることが年々続けられ、今日に至っている(明治以降は2月28日に飯盛りをする)。その大仏は、石造の釈迦如来像であり、不動院の門前にまつられ、いつも近隣の人の手によってか、花が供えられている。

<不動院の飯盛り大仏>
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なお、この不動院の南にある覚王寺には竜神をまつる龍王堂がある。龍王堂の本尊は難陀龍王という八大龍王の一柱で、やはり海の守護神として漁師町の人の信仰を集めた。この龍王堂はなかなか立派で、彫刻も良くできている。ただ残念なことに、龍王堂は現在補修中である(船橋市のHPの文化課の頁に綺麗な写真あり)。ここにも、新しいが地蔵があったので、撮影した。ただ、どうみても、石仏ではありませんな。

<龍王堂をバックにたつ地蔵>
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また、寺町からは離れているが、本町通りの北、御殿地の西側の道祖神社には、愛染明王像がある。これは、石仏としては珍しい部類かもしれない。よく、女人信仰の対象になったと聞く。他にも染物屋さんとか水商売の人とかも。下の写真左が愛染明王で、その右横にあるのは、馬頭観音である。

<珍しい愛染明王の石像(左)>
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さらに、船橋のかつての宿の西のはずれには、西向地蔵尊というのがある。これは、西方浄土に向いているというよりは(もちろんそういう意味はあろうが)、宿場の西はずれでお仕置き場があったという跡で供養のためにたてられたものらしい。宿のはずれには、お仕置き場とか遊郭があることが多いが、船橋も例外ではない。

<西向地蔵尊>
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ほかにも、寺町は浄勝寺のお女郎地蔵とかあるのだが、後日紹介する。もう少し伝承などが調べられたらと思うこのごろである。

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