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2005.11.06

知多半島、武豊から常滑と野間へ

「振り出しに戻る」、「元の木阿弥」というと表現が悪いが、鉄鋼メーカーJ社のシステム統合で一仕事終えて、J社の前身であるK社に入社した後の初任配属の地である、愛知県は知多半島に、一時的にせよ舞い戻ってきた小生は、早速昔の(20数年前のであるが)土地勘で、知多半島でも休みに良く行っていた常滑、そして野間に行ってきたのであった。
まず土曜日の朝、車を飛ばして常滑のスカイラークという喫茶店(外食チェーンの「すかいらーく」とは全く関係なく、昔からそういう名前)に行き、20数年振りにそこでコーヒーを飲んだ。東京生まれで、東京西部の学校を出た私には、知多の喫茶店のコーヒーで口にあうのは、この店のものくらいしかなく、住んでいた武豊町から自然と通うようになった。昔住んでいた寮は既にないが、今は近くの別の寮にいて知多の工場に在勤している。そして、武豊から常滑へと、かつてのルートで、その喫茶店に行ったのである。しかし、20数年振りに行ってみると、かつての店構えと少し変わり、2階は使っておらず、「名古屋名物あんかけスパゲティ」が売り物の店になったいた。
昔の感傷を振り切るように、一路南下し、野間へ行った。野間は、野間大坊と灯台で有名な場所である。野間の灯台には、夜でも良く行った。

<野間の海岸>
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その灯台にちなんで、野間の町には灯台ラーメンという店もあり、実際店の駐車場の一角に灯台を模した宣伝用の塔が立っている。実は灯台ラーメンと野間大坊は、すぐ近くだということを、ずっと忘れていたが、行ってみて思い出した。昔は野間大坊の門のところに、路上駐車していたのだが、今は道路もきれいになり、そうするのは憚れる(第一交通違反だ)ので、信徒会館の駐車場に車を止めた。
野間大坊の建つ野間の地は、源義朝が暗殺された場所で、その義朝を裏切り湯殿で討った張本人である長田忠致の館址も野間大坊にほど近い所にあったことで有名である。そういう意味では、野間大坊付近も中世の武士の館址の延長なのだが、例によって、遺構らしいものが残っていない。野間大坊の門の両側に土塁痕のような、土盛もあるのだが、多分ただの境界土手址であろう。

<野間大坊の門:源頼朝が寄進したもの>
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<源義朝の墓>
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ここには、桃山城の客殿の一部を移築した建物がある。それは本殿であるが、県の指定文化財だそうで、ただの田舎の寺ではないと自己主張しているようだ。だが、元は鎌倉時代以前の武士の館に近接した、長田氏にとっては庭のような場所であったのが、源義朝の供養のためか真言宗の寺となったのである。実際本堂へ行ってみると、何やら加持祈祷をしている。そういえば、境内にはマニ車というものがあって、回すとそれだけ経文をよんだことになるそうだ。知多には、他にも古刹といえる寺があるのであろうが、私の知る限りでは、野間大坊が一番古刹らしい。そのうち、寺に行っているのに不謹慎なのだが、寮の部屋で酒を飲むときに、ぐい呑みがあればと思っていたことを思い出した。

<桃山城から移築した本殿>
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<何やら祈祷もしています>
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野間やもっと先の内海でも探したが、ぐい呑みを売っている店がないようで、やはり常滑に戻るしかないかとまた常滑へ行ったのである。常滑でも、植木鉢を専門に扱っている店などあり、大きい店構えだからといっても、ぐい呑みのような酒器や茶器を扱っているかどうかは分からない。実は、最初はいった店には、安い大きな品物ばかりで、作家物のぐい呑みもあったが、気に入ったものはなかった。
常滑は知多半島の西側中央部にあたり、今でも常滑焼の工場の四角い煉瓦作りの煙突が建ち並ぶ、風光明媚な所である。ここには、常滑焼の散歩道という観光スポットがあって、道沿いに常滑焼の工場やギャラリー、展示場、登り窯などあるが、観光客に混じって少し歩いてみた。以前、知多にいた頃は、陶磁器には興味がなく、常滑の町をゆっくり歩いてみたこともなかった。そういう場所があること自体、よくわかっていなかったのである。

<常滑風景>
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<散歩道で>
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<登り窯>
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散歩道の途中で、ガラスケースにぐい呑みと茶陶(水差し)を飾ってあった家があった。そこで、しばらく立ち止まっていると、中から年配の男性が出てきて、いらっしゃいと言う。家の土間にはなぜか工具やいろいろな物が散らばっており、また工事もしていて騒々しく、正直ここでぐい呑みを買う気は余りなかった。ぐい呑みを探している旨を言うと、中にもあるからと私を誘い、ガラスケースのなかのぐい呑みを全部出して、家の中にあるテーブルに置いた。好きなものを選んでくれという訳である。男性は「猪飼です」と名乗り、それらは自分が作陶したもので、陶芸家であるという。普通の、そこらにいる初老の男性のように見えるのだが。なるほど、この人を写した、四つ切くらいに引き伸ばし、いかにも写真家が撮ったような写真が飾ってある。また、自分の経歴書をくれたが、それによればいろいろな展覧会で入選したようなことが書いてある。
猪飼さんは、ぐい呑みをいくつか選び、それぞれにお茶をついで、飲み比べてみてくださいと言う。ぐい呑みは、いずれも肉厚で黒か茶の釉がかかっている。光に反射するので、何の薬をかけているか聞くと、鉄釉だという。鉄屋なのだから、鉄釉のかかったぐい呑みで飲むのは、ピッタリではないか。
後で寮に帰って渡された経歴書をじっくり見ると、以下のようであった。

「一友窯 猪飼眞吾  (その次に住所と電話番号)
陶暦
昭和十五年二月 愛知県常滑市に生まれる
(略)
昭和四十六年 江崎一生先生の指導を受け作家活動を始める
(略)
昭和五十年   (略)
          東海伝統工芸展入選
          朝日陶芸展入選
          (略~入選多数のようだ)
昭和五十一年 谷川徹三先生に知遇を受ける
          東京南青山グリーンギャラリー個展
          (以下略)                」

なるほど、ちょっとした陶芸家ではないか。買ったぐい呑みも、ごろっとした感じで、重量感があって手になじみ、なかなか良いのである。やはり、このぐい呑みを買って良かった。

<猪飼眞吾作のぐい呑み>
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