「ねこの手も借りたい」考
「ねこの手も借りたい」という言葉がある。忙しい時に、ねこの手も借りたいほど忙しいなどという。
この「ねこ」とは、動物の猫であろうか。
もし、動物の猫なら、猫の手を借りても、孫の手の代わりに背中がかけるわけでもなし、猫パンチでボクシングができるわけでもない。じゃんけんをしても、パーを出しているのか、グーを出しているのか判別がつかない。チョキが出せないのは間違いない。
ところで、来年は戌年である。だが、猫年というのはない。十二支に猫がないのはなぜかという、物語があったが、猫としてみれば、ねずみ年やウサギ年があるのになぜ?と思っているに相違ない。
また、猫が銅像になっているのも見たことがない。その他の動物では忠犬ハチ公や高知城にある馬を連れた山内一豊の妻の銅像などあるが、忠猫なんとかなどといった銅像はない。もともと猫は人になつくより、家につくといわれるのである(家につくといっても、気まぐれでぷいといなくなる)のであるから、忠猫はあまり出ないのであろう。虎ノ門に猫か?と思う銅像があったが、虎であった。猫で有名な造形は、左甚五郎の眠り猫くらいか。
「猫の手も借りたい」というのが、正しければ、役に立たない猫の手でも借りたいくらい忙しいというのであろうか。
「ねこの手も借りたい」というのは「女子(めこ)の手も借りたい」が訛ったものという説もある。しかし、女子は明治時代の女工哀史にあるように工場で働いたり、江戸時代以前でも重要な労働力であり、年端の行かない子供でも子守などをやらされていたのであるから、その説は違うだろう。
だが、動物の猫の手では、役に立たないこと、この上ない。役にたっても、ねずみをたまに取ることぐらいであろう。
だいたい、猫はいつもぐうたらしている。日光にある左甚五郎の眠り猫のように、猫はよく眠る。
もともと、猫とは寝る子である「寝子」が語源であるという。道理で、良く寝るはずである。
猫、あるいは寝子には、別の意味がある。猫は、芸者を示す隠語でもある。芸者は猫の皮をはった三味線を弾き、客をだますからだという(勿論、そういう語源だからというだけで、筆者はそう思っていませんので、念のため)。芸者といえば、江戸時代以降になるが、「ねこの手も借りたい」とは何時ごろからの言葉であろうか。
「ねこ」は芸者ではなく、遊女かもしれない。寝子は、男と寝る子、つまり遊女を意味する言葉でもある。
猫と書いても、同様であり、本所回向院辺りには、金猫銀猫と呼ばれる遊女がいたそうだ。金猫、銀猫とは、揚げ代が金一分の遊女が金猫、銀二朱の遊女が銀猫と呼ばれたということで、吉原の花魁などとは違って下級の遊女である。吉原も、志ん生の落語などで聞くところによれば、昔は日本橋にあり、それが浅草の裏、千束の近くに移ったというが、新吉原はかつての江戸の北のはずれにあった。品川は、その逆で南のはずれである。大体、遊女屋や刑場は似たような場所にあり、回向院などもその通りである。
だから、遊郭、遊女というと、町のはずれのわびしいイメージがあるが、なぜか遊郭には可愛らしい招き猫がつきものである。その昔の遊郭に招き猫が置いてあったのも、遊女=猫が客を招くというのをあらわしたものであろう。もっとも、実際に猫があのような手をあげるポーズはしない。顔を洗うような仕草はするけれども。
それはともかく、猫、もしくは寝子が芸者、あるいは遊女を示すことから、読み方の同じ猫が遊郭につきものなのだろう。
つまり、「ねこの手も借りたい」とは、農業など、江戸時代の大多数の民衆が携わってきた仕事を、普段そのような肉体労働をすることのない、芸者もしくは遊女にでも手伝ってもらいたいほど忙しいのだということを言っているのであろう。
では、こんな筆者でも気がつくことを、なぜ国語学者のような人が言わないのか。遊女から来る言葉は、嫌悪感を感じるという感覚なのであろうか。日本の昔にも、マグダラのマリアは大勢いたと思うのだが。
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