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2005.12.21

歌いつつ歩まん

スチール統合プロジェクトで仕事をしていた忙しい時、私は会社の往き帰りに好きな音楽を聴いていた。例えば黛ジュンのデビュー曲「恋のハレルヤ」*などは、良く聴いていた。もはや「懐メロ」の部類になってしまった曲しか分からないというのは、年のせいだろうか。しかし、黛ジュンはデビューの時から歌唱力がすごいと思っていたが、実は本当のデビューはもっと前で米軍キャンプなどで歌っていたのだということを最近知った。黛ジュンは、歌は目茶苦茶うまいが、格別美人でもなく、親戚のお姉さんみたいな感じでフレンドリーであったためか、その歌はよく替歌が作られていた。「恋のハレルヤ」も、たしか「ハレルヤ~」を「禿げるヤ~」にして、「花は散っても」を「髪は散っても」とし、頭髪の薄い方を揶揄するような、けしからん内容の替歌になっていたと思う。他の曲も同様で、黛ジュンの歌ほど、替歌になったものは余りない。

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しかし、「恋のハレルヤ」はでだしが、「ハレルヤ~」といっているだけで、それ以降は少しもキリスト教的な文句がない。しいていえば「愛されたくて愛したんじゃない」がアガペーの愛を感じさせる程度である。*日本音楽著作権協会作品コード 031-1579-8 ISWC T- 101.229.647-6 

話はちょっと脱線する。植木等の「スーダラ節」**は、青島幸男作詞だが、根がまじめな植木等はその歌をもらったとき、歌詞の内容に悩んだそうである。そして、寺の住職をしていたお父さんにこんな歌詞だけど歌うのはどうかと思っていると、相談したところ、お父さん曰く、この歌詞の「分かっちゃいるけどやめられない」というのが仏の道に通じるということで、植木等も納得したという。**日本音楽著作権協会作品コード 043-0001-7  ISWC T- 101.317.016-4

「ハレルヤ」が歌詞のなかに出てくる歌を、私はもう一つ知っている。夜、武豊と半田の間を車で走る時、赤いライトで縁取られた十字架を屋根にのせた教会が二つ、沿道にあるのが見える。私はキリスト教ではないが、そんな時ふと、ある賛美歌を思い出すのである。その賛美歌とは、そういう類の歌で、メロディーもしっかり覚えていた唯一の歌、聖歌498番「歌いつつ歩まん」である。

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高校生の頃であるから、もう30年も前のことであるが、私はなぜかバプテスト教会の集会に行ったことがある。その時、上映されていた映画のバックに、その歌が流れていた。

♪ 歌いつつ歩まん ♪

1、主にすがる我に 悩みはなし
  十字架の御許に荷を降ろせば
  歌いつつ歩まん ハレルヤ ハレルヤ
  歌いつつ歩まん この世の旅路を

2、恐れは変わりて 祈りとなり
  嘆きは変わりて 歌となりぬ
  歌いつつ歩まん ハレルヤ ハレルヤ
  歌いつつ歩まん この世の旅路を

3、主はいと優しく 我と語り
  乏しきときには 満たしたもう
  歌いつつ歩まん ハレルヤ ハレルヤ
  歌いつつ歩まん この世の旅路を

4、主の御約束に 変わりはなし
  御許に行くまで 支えたまわん
  歌いつつ歩まん ハレルヤ ハレルヤ
  歌いつつ歩まん この世の旅路を

実際には、メロディーは正確に覚えていたものの、歌詞については「この世の旅路を」を「心の旅路を」と覚えていた(「心の旅路」では記憶喪失をテーマにした古い映画である)し、それ以外でもかなり間違って覚えていたので、私のなかではほとんど別の歌になっていた。

この歌が流れていた教会の映画では、ある少女がお母さんの死をきっかけに絶望し、駅のホームから身を投げて自殺しようとしたが、奇跡的に命が助かったものの、両足と片腕(左腕と思いますが)を失い、残った腕も、指が3本という状態になってしまった。そして病院で意識を取り戻した少女は、再度自殺をしようとするが、キリスト教によって救われ、やがて牧師さんと結婚し、子供ももうけて充実した日々を送っているという内容であった。映画の最後に、その本人、市川在住の田原米子さんが登場し、台所で料理をしたり、家事をしている様子やインタビューに答える声などが流されていた。

その後、私はキリスト教徒にはならず、千葉県の県立高校から、大学へ進み、会社勤めをしている。会社でも勤続25年になるのだから、もうロートルの部類に入りそうである。家の仏壇には線香もあげるし、先祖の位牌に手を合わせるので、家の宗派である禅宗の信者といえなくはない。だが、前記の賛美歌と田原米子さんの姿は、ずっと記憶の底にあった。

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思えば「歌いつつ歩まん」は、きわめて楽天的な歌である。主にすがって悩みはなく、荷をおろしているのだから、足取りも軽く、歌いながら歩けるよ、というのは言いすぎかもしれないが、表面的にはそんな歌詞である。しかし、実際にはそう思いたい、つらい悩みを負った人の負担を何とか軽くしたいということであろう。田原米子さんも、多分生還したが三肢を失った障害者になって一時は絶望したのであろうが、キリスト教の信仰に支えられ、まだ片腕と3本の指があるというものすごいプラス志向で、生き抜いてきたのである。これこそ、奇跡である。

だが、田原米子さんも今年なくなってしまった。生前はライフカウンセラーとして、活発に活動されていたそうであるが、そういう人の活動が重要になっているだけに実に惜しいことである。今年なくなった有名な人は、いろいろいるが、私にとっては、田原米子さんがなくなったことが惜しまれる。

あらためて、ご冥福をお祈りいたします。

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コメント

mori-chanとは、たぶん、同世代の人間なのではないでしょうか?
黛ジュンが、米軍基地で、ジャズやブル-スを歌っていた話しは
よく聴きます。黛ジュンの歌が、はやっていた当時、僕は、中学生で
今でいうと、キレイナお姉さん的な存在だったことを、今でも、よく
覚えています。当時、僕の近辺にも、mori-chanのように
歴史の好きな人が何人かいて、よく、話しを拝聴いたしました。
あと、マグダラのマリアの件ですが、あれって、本当でしょうか?
キリストの子孫は、今、どこで、何をしているんでしょうか?
今度、ゆっくりと、ご意見を聴かせてください。   浩志

投稿: hiroshi | 2006.01.01 22:13

コメントありがとうございます。同世代というより、黛ジュンの替え歌とかを学校で教えてくれたのは、貴兄では?? あとワイルドワンズとか、GSものは高橋君だったと記憶していますが。
黛ジュンの替え歌も、他人事ではなくなりました。お互い年はとりたくないものです。
貴兄のブログを探していましたが、これで分かりましたので、言っていたようにリンクを張らせていただきます。
鎌倉の人にも昨日あってきました(結局初詣が八幡宮になったので、その帰りに江ノ電に乗って)。
まあまあ元気そうでした。

投稿: mori_chan | 2006.01.03 13:28

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2006/06/24記 ↑クリックで拡大されます。 今回取り上げるのは、黛ジュンです。彼女が「恋のハレルヤ」でデビューし、その翌年「天使の誘惑」でレコード大賞を受賞したのは、私が、まだ小学生のときでした。 ←2006年1月13日追加分。クリックで拡大されます..... [続きを読む]

受信: 2006.01.31 15:03

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