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2006.01.28

海軍大尉は「てんとう虫」に乗って

世の中便利になったもので、愛知県は知多半島にいても、インターネットで本の注文ができ、宅配便で届く。亡くなった実家の近所に住んでいたおじさん(友達のお父さん)が日本海軍について書いた古本全三巻を注文し、先日手元に届いたが、そのおじさんは作家、あるいは軍事評論家というような仕事をしていた。奥付に書いてあった著者略歴を読んで、昔の住所が書いてあったので涙が出てきた。昭和36年(1961)刊行された本で、ちょうど小生の家が東京から船橋へ引っ越してきた頃のものである。

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そのおじさん自身が、兵学校出身の歴戦の元海軍大尉で、潜水艦乗りだった。レイテ沖夜戦では敵との交戦で魚雷を撃ちつくした後、さらに敵と遭遇、約40時間も潜航したそうである。小生の父親も海軍だったが、三重海軍航空隊奈良分遣隊、後の奈良海軍航空隊所属のポツダム下士官(つまり終戦直前に兵長から二飛曹に昇任した)で、一度も出撃しなかった。もし、出撃となれば、戦争末期の奈良海軍航空隊の場合は、回天や震洋に乗ることになっていたであろうから、出撃イコール戦死である。といっても、三重空では練習機に乗っていて失神し、操縦不能で墜落して死んだ人もいるようだし、奈良空でも病気で死んだ人が結構いたらしいので、出撃しなかったからといって全員生きて帰れたわけではない。小生の父親は、本当は陸軍幼年学校に行きたかったが、将校になるのに時間がかかるので、手っ取り早い海軍の予科練に志願したそうだが、その当時は世の中が軍国一色で、入る時は華々しい思いだったのであろう。そして、奈良空で玉音放送を聞いて復員してきた後、田舎の山に登り、「国破れて山河あり」と思ったそうである。

日本は勝つことの不可能な無謀な戦争をしていた、そのために国民の生活は犠牲とされ、天皇の命令の名の元に軍人は将棋の駒のように動かされ、犠牲になっていった。戦病死した軍人のほとんどが、餓死であったことは藤原彰先生の研究で明らかになっている。つまらん連中が戦争を美化しているが、実態は仏教でいう阿修羅道、餓鬼道であったのである。アジアの罪もない人々も多く犠牲になったが、個々の具体的な作戦の如何に関わらず、全ての根源は奉勅命令であり、天皇を大元帥とした統帥権は当時何人も侵犯できなかったのである。でも、昭和天皇は、なんら詫びることなく死んでしまった。軍人に対しても、非戦闘員の国民に対しても。そして、戦争の反省もなしに、無責任な言動をしている政治家や言論人が、大手を振って歩いている。今度は女系天皇だそうだが、天皇も選びきらんのなら、いっそのこと、今後は皇族全てが皇族をやめてしまえば良い。そして昭和天皇の戦争責任を国民審判で決めたら良い。

<聖衆来迎寺の六道絵>

ashura

亡くなった、そのおじさんは、友達と小生をよく車に乗せて、ドライブに連れて行ってくれた。車は、「てんとう虫」と呼ばれたスバル車である(スバル車を製造していた富士重工は、戦前中島飛行機と言っていたが、偶然にも小生の伯父は戦前中島飛行機に勤めていた)。

そして、そのおじさんはその車で事故に遭い、亡くなった。その時、週刊誌に連載が決まっていたそうである。ミッドウェーやレイテなど数々の海戦を生き延びた歴戦の勇士が、戦後事故で自家用車の中で死んでしまったのは皮肉なことである。確か、力道山が亡くなったのと同じ頃だったと記憶しているが、お葬式の後出されたお茶が余りに熱かったことを鮮明に覚えている。

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近所の友達も小生もこの世に生まれてきたのは、志願して海軍に入った親が戦死せず、生き残り家庭をつくったからである。小生の祖父は陸軍に応召されたが、日露戦争が終わった頃だったので、特段のことはなかった。但し、本人は模範兵だったのに、思うように昇任できなかったのが不満で、歩哨に立ったときはやることがないので髭を抜いたり、星を見ていたりしたそうだ。曽祖父は、尾張徳川家の兵隊として戊辰戦争に行ったようであるが、生き残った。曽祖父の刀は戦後のドサクサでなくなったけれども。その前はもう江戸時代だが、もっと前の戦国時代の先祖となると、いつ死んでいてもおかしくありませんな??? いずれにしても子孫が残ったのは、先祖が子供を作るまで生き延びた結果であり、天皇は万世一系とか昔は言っていたが、誰でも万世一系である。

多分、亡くなったおじさんは、天国でもスバル車に乗ってドライブしているのだろう。戦争を知らないくせに、あるいは元軍人でも主計将校か何かして弾の飛んでこないところにいたくせに、威勢の良いことばかり言っている連中を苦々しく天上から見ているかもしれない。

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