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2006.02.21

播磨城めぐり見聞録

ご家老の言いつけにより、江戸勤番から尾張の国は知多郡成岩村にある屋敷勤めをすることになった森知安(ちゃん)でしたが、くろがねの荷運びを行うご親戚家の何とか計画書なる巻物づくりをお手伝いし、連日のお勤めに疲れ気味。本来のお勤めもこなせねばならぬし、困ったものよと思案の最中。そして、ご親戚家のご家老への報告をもって、そのお勤めからは解き放たれたのを良いしおに、かつて住んでいた摂津の国の隣、播磨の国に骨休めに参ったのでありました。しかし、町医者からは禁酒を言い渡され、新幹線なる乗り合い馬車の中でも麦で作った酒が飲めないとは、つらいなあ。

二月十八日朝。天気は晴れというより、薄曇。
では、出発は尾張の国は知多郡長尾村(武豊)より。「じぇーあーる」とか申す乗り合い馬車に乗り込んで、いざ名古屋まで。ここまでなら、知多に来てからでも何回か行ったたことがあるが、はてさて新幹線で岡山行きとな。途中、姫路で降りるのでござるな。

<JR武豊駅:1953年の13号台風の際に列車を救い殉職した駅員さんの像(銅像のように見えるが、常滑で作った陶製だそうだ)がある>

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<名古屋駅新幹線ホーム>

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姫路城は、白鷺城とも呼ばれているそうな。確かに美しい城でござるな。たしか池田様の城であった。高田浩吉と申す歌手の歌で「白鷺は 小首かしげて 水の中・・・」* というのがあったが、関係ないじゃろの。 *白鷺三味線 日本音楽著作権協会作品コード:039-0324-9

<姫路城の大手門>

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<姫路城の堀>

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うーん、天守閣に子天守がついて、これはなかなか見所の多い城でござる。

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この城の西の丸には、かつて千姫様がおいでになった、化粧櫓という櫓があった。この辺りかの・・・おや、東の空に筋のような変わった雲があるわい。

<西の丸の櫓付近から飛行機雲を見る>

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しかし、姫路ばかりには居られぬ。脇坂様の龍野城も見聞しておくとしよう。では、姫路からまた乗り合い馬車に乗るのでござるか。「じぇーあーる」姫新線とな。初めて聞くような名じゃが。姫路と播磨新宮を結んでおるとか。

<姫路駅の姫新線ホーム>

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何と? 自動扉ではなく、釦を指で押して開閉するとは、初めて見聞するな。上野の国と下野の国を結ぶ両毛線では、扉を手で開け閉めする荒技を使っていたが、これは折衷方式でござるか。龍野城へ行くには、本竜野で降りればよろしいな。

<本竜野駅>

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ここから歩いて、城下へ参ろう。途中、揖保川にかかる龍野橋という橋がござるが、手前の橋の東詰の近くには醤油作りを生業としている町人がいるとか。ヒガシマルとか申したな。また、揖保乃糸という素麺でも有名じゃ。手延べ素麺協同組合の建物もある。町人の寄り合いじゃな。そうこうするうち、龍野橋じゃ。おお、橋の上から龍野城が見える。足利将軍のころ、赤松村秀という武将が鶏籠山の山頂に築いたのにはじまるとか。赤松四代の城であったが、天正五年、織田信長様の命により豊臣秀吉様が行った播州征伐で開城したとか。また山麓にある御殿は、徳川の御世になってからのものと聞く。

<龍野橋からみる鶏籠山>

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<江戸期の龍野城(復元)>

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城下は町屋の蔵や格子戸が目立つのう。そして、寺も多い。また、幅がちと狭いが、堀であるのか、水路がめぐっておるぞ。

<城下町の風情を残す龍野の町並み>

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龍野城は御殿に上げて頂けるのか。しかも金子をとらないとは。さすが龍野は醤油や素麺で商売繁盛している土地柄であるな。かたじけない。もう、そろそろ日も傾いてきたから、茶でも一服。そうじゃ、龍野橋の東詰に、古風な茶屋があった。そこで一休みしよう。「しふぉんけーき」という南蛮渡来の菓子に「こーひー」という茶で、一組になったものを注文しよう。六百文なら安いではないか。

<龍野橋東詰の喫茶店~入り口に細かいタイルがはってある>

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<喫茶店の店内~よく見なかったがアンティーク喫茶らしい>

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では、また姫路へ戻るとするか。何、「いべんと」があるとな。落とし噺でござるか。聞きたいのはやまやまじゃが、拙者尾張より隠密で上方に来ている身。また、明日は置塩城についての学者の話があると聞いておる。それでは、明日も早いので。龍野の町よ、さらば。

明けて、二月十九日。天気曇り。
昨日、お役目に少々疲れ、骨休めに上方へ飛んだ森知安(ちゃん)、姫路城と龍野城を見聞し、龍野の茶屋で一休み。そして、姫路に戻って旅籠に泊まりました。今日は朝から、置塩城の話を聞きに姫路の北なる前之庄へ乗り合い馬車に乗っていったのでありました。

神姫バスなる小型の乗り合い馬車で来たが、山の中じゃな。拙者の親の田舎の上州黒川山中の風景にも似ておる。終点のここが前之庄か。姫路市に統合される夢前町の中心じゃな。しかし、旧道も新道も店がまばらじゃ。早く着いたので、置塩城に寄ってからとするか。ほう、地図が出ている。・・・これは、大分遠いなあ、しかも乗り合い馬車で通った場所ではないか。山城だし、簡単に登れるものでもあるまい。拙者の認識が甘かった。仕方ない、昼食を取って、喫茶店か何かで待つとしよう。

<前之庄にある町役場と講演会会場になった公民館(後ろ)>

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これは参ったな。新道沿いを見ても、喫茶店どころか、食堂もないぞ。旧道沿いは・・・おや、食堂はあるが、閉まっておる。肉屋はあるから、「ころっけ」でも食するとしよう。おお、肉屋には猪の肉もある。確か、丹波篠山に行ったときにも、猪肉が名物であった。牡丹鍋にするのであったな。旧道沿いには、見過ごしそうな路傍に石の道標があり、「たじま たんご道」と書いてある。

<松の本にある道標>

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講演会の会場は、中央公民館でござるか。結構、立派な建物でござる。受付をすませ、大ホールで開会を待つとしよう。何か、童謡のような歌を繰り返し流しているが、夢前町の歌でござるか。そうこうするうち、開会じゃ。最初、置塩城の発掘の様子をスライド上映でござるか。その後に、置塩城発掘調査の指導者であった、おおざかの大学院名誉教授、村田修三殿の講演でござるな。

<置塩城発掘調査結果の講演会の様子>

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<置塩城発掘調査結果を説明する村田修三・大阪大学大学院名誉教授>

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なるほど、置塩城を築城した赤松氏は、この山中に播磨国守護として公家や寺家も滞在できるような、居住性の高い都市空間を作ろうとしたのでござるか。それで、山城なのに、「麓に居館、山には詰めの城」で山城のほうは防御性を重視、居住性はあまり問わないという、従来の常識とはかけ離れているのでござるな。それにしても、大規模で石垣や瓦葺きの建物なども立派な山城であった様子じゃ。この城には庭園もあったのが、発掘で明らかになっている。しかし、生活物資を運ぶのは大変であったろう。

帰りはまた乗り合い馬車に乗らねばならぬ。拙者と同様に停車場で待つ御仁、神戸の住人の方でござるか。拙者が昔住んでいた摂津の国の、しかもお近くの方ではないか。拙者より少し年上の五十二、三歳の方とお見受けしたが、いづれ同好の士でござる。乗り合い馬車のなかでも、いろいろ話をした。置塩城だけでなく、白旗城や高取城など山城をいろいろまわっているそうな。置塩城の「ぱんふれっと」を下さるのか。これは、かたじけない。また、山城は危険な場所がいろいろあり、一人で行かないほうがよい、置塩城であれば教育委員会に電話すれば団体でのぼれるように手配してくれる云々、ご忠言重ねてかたじけない。

<バス車中から撮った置塩城址のある城山>

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神戸の御仁とは姫路で別れ、拙者は「じぇーあーる」新幹線で名古屋へ向い、武豊線に乗るのでござる。短い間であったが、いろいろ見聞をいたした。知多郡長尾村(武豊)に戻り、また明日からはお勤めじゃ。

<JR武豊駅>

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コメント

 お久しぶりです。
過日は、無断でTBを3つも打ってしまいすみませんでした。m(__)m

姫路城に行ってこられたのですね。わたしも福山城を再訪時に、今年こそは訪れたいと思っています。やはり美しいお城ですよね。なんたって白鷺は青鷺の親戚でもありますから……。(^^;

投稿: ∞ヘロン | 2006.02.25 12:44

どうも、moriです。

先日は仕事が忙しく、ストレスがたまっていたので、姫路城や龍野城をめぐって気晴らしをしてきました。紀行文の出来損ないのような、散文?を読んで頂いてありがとうございます。小生、まだ愛知県在勤が続きそうで、また知多半島の史跡もめぐっていこうと思っております。

投稿: mori_chan | 2006.02.28 21:01

 moriさんが、愛知県在勤の内に、一度お目にかかりたいと思っております。3月になったとはいえ、まだまだ寒い日が続いていますが、もう少し暖かくなったらまた知多半島を再訪しますので、お互いの都合がつけば一緒に廻りたいです。(^^)

投稿: ∞ヘロン | 2006.03.01 12:24

知多半島の史跡めぐりの件、了解しました。ただし、小生が知っているのは緒川、阿久比、成岩、常滑位です。河和や地元の武豊にも戦国期の城址があるらしいですが、行ったことがありません。その位で良ければ、案内することも可能です。もっとも、月末月初の土日は、関東に帰っていることが多いです。

投稿: mori_chan | 2006.03.02 23:37

 「知多半島の史跡めぐり」の件、早速ご快諾頂きまして、どうもありがとうございました。今日は春めいて少し暖かくなりましたね。こういう日々が続いていくと、出かけたくなりウズウズしてきます。(^^)
 日程につきましては、mori-chanさんにご一任いたしますので、ご都合の良い日をお知らせください。
 現在知多半島採訪の予定地は下記の通りです。

飯森城
  愛知県半田市飯森町121
  水野氏
   亀崎城などと同時期に築城、慶長六年廃城

岩滑城
    愛知県半田市岩滑中町7丁目              
中山刑部大輔勝時 常滑城の養子

成岩城
愛知県半田市有楽町7丁目 城ノ上住宅の南端小高いところに石碑

心月斎 曹洞宗 TEL 0569-82-0275
  愛知県知多郡美浜町大字布土字明山8      
心月斎梵鐘 第五代水野太郎左衛門 藤原政長 慶安二年(1649)作

布土城
愛知県知多郡美浜町大字布土字明山 心月斎の東 水田・宅地
   城主 水野忠分 天文年間

美浜町生涯学習センター
愛知県知多郡美浜町北方十二谷125
   
乳寶山 報恩寺
愛知県知多郡美浜町大字奥田字会下前39     

大慈山 岩屋寺
愛知県知多郡南知多町山海間草 109
梵鐘 永正五年(1508)十一月十九日
  大工山田荘 藤原法家 銘 (初代水野太郎左衛門) 『岩屋寺誌』
 
奥田城跡
  愛知県知多郡美浜町大字奥田字谷
水野勝成の城

細目城
A.愛知県知多郡美浜町野間神明(桑之前)

  B.愛知県知多郡美浜町野間富具崎 (金刀比羅神社付近か)
  細見河内守:水野信元:水野野洲
   水野勝成
    のち緒川水野氏(信元)の支城


愛知県南知多町役場 社会教育課
南知多郷土研究会事務局          
  愛知県知多郡南知多町大字豊浜字須佐ケ丘5 総合体育館
       
正蔵寺
愛知県知多郡美浜町大字野間字本郷36 
報恩寺の末寺
   
上記のほか、まだまだ訪れたいところが沢山ありますが、取りあえず、半田市や南知多町へ行ってみたいと思っています。上記を全て廻るには二日は必要となりますので、mori-chanさんのご意見に従ってこの中から幾つかを撰んでスケジュールを立てたいと想っております。どうかよろしくお願いいたします。なお、美浜町生涯学習センターと南知多郷土研究会事務局を訪問するには、、土曜日でしかも予約が必要です。

投稿: ∞ヘロン | 2006.03.04 16:47

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