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2006.07.17

徳川家康と知多半島(その17:尾張に残った中山氏の後裔)

前々回、「岩滑の中山氏」というタイトルで、現在半田市岩滑となっている知多半島は岩滑に居城を構え、徳川家康の母方の姻戚(義理の叔父)でもあった中山勝時の系譜について書いた。また、前回は「幕臣となった岩滑中山氏の後裔」と題して、中山勝時の子、勝政、勝尚の子孫で旗本になった中山氏後裔について述べた。これらについては、旗本となった中山氏の御子孫から、コメントを頂いたりしたが、前回までの記事では地元尾張に残った中山氏、つまり尾張徳川家に仕えた尾張中山氏については、あまり触れていなかった。

この7月15日、愛知県半田市岩滑西町にある新美南吉記念館において、「『ごんぎつね』の殿様 中山家と新美南吉」という特別展が開催され、その開催初日に尾張中山氏の御子孫とヘロン氏と小生で、新美南吉記念館を訪れた。新美南吉記念館では矢口館長、遠山学芸員が応対してくれ、記念館側の計らいで尾張中山氏子孫の中山文夫氏と生前懇意だった郷土史家小栗大造氏も同席し、色々と中山氏と岩滑の昔について聞くことができた。

今回、新美南吉記念館で尾張中山氏を取り上げるのも、「ごんぎつね」に「むかしは、私たちの村のちかくの、中山というところに小さなお城があって、中山さまというおとのさまが、おられたそうです」というくだりがあるように、岩滑の象徴的存在でもあるし、新美南吉自身が岩滑に帰って住み着いていた尾張中山氏の子孫の人々と深い付き合いがあったからであろう。

<矢勝川河畔にある南吉の碑>

Nankichihi

前に述べたように、尾張中山氏は、岩滑城主であった中山刑部大輔勝時の三男、五平次勝尚の子勝秀の娘が尾張徳川家家臣である安井長高に嫁し、その子長清が母方の姓を名乗って中山瀬左衛門と称したことに始まる。安井長高は御弓役、御馬廻、中山瀬左衛門長清が御徒頭、その子清純は御馬廻頭などをつとめた。そのように、尾張中山氏は、代々御馬廻役などを務め、幕末の頃の勝重は、尾張藩で武術師範をつとめた。武術師範では千人を越える門弟がいたといい、そのなかには附家老の成瀬氏など尾張藩でも要職にあった人達もみられる。

<岩滑八幡社境内にたつ岩滑開村の石碑>

Yanabe

中山勝時の子勝政、勝尚の血をひく他の系統が徳川将軍家に仕えたのに対し、尾張徳川家に仕えるもう一つの系統を残した訳である。古来、武家の慣習として、嫡流家以外に、地元に別系統をたてる例は多い。この尾張中山氏、明治維新の後、かつての旧領である岩滑に移住した。それは、地元に在住していた森権左衛門家からの勧誘による。実は、その森家のルーツをたどると、中山氏の家老格であったといわれる。そして、小学校校長をしていた中山元若(勝重の子)の代には、家の近かった新美南吉と中山家とは深い交流があったという。すなわち、中山家の六女ちゑに対して南吉は思いを寄せていたし、ちゑだけでなく、母しゑや妹なつ、弟文夫とも家族ぐるみの付き合いがあった。実は新美南吉の童話のもとになっているのは、中山元若の妻しゑが語る民話だったという説もある。そうなると、新美南吉の童話のオリジナルは、中山家にあったということになる。

<「『ごんぎつね』の殿様 中山家と新美南吉」特別展の案内>

Niiminankichinakayama_1

それはともかく、徳川家康の従兄弟中山勝尚のひ孫にあたる中山瀬左衛門長清から始まる尾張中山氏、その系譜については、亡き中山文夫氏が書いた資料や今回の展示内容から、もう少し掘り下げてみたい。それについては次回。

なお、中山文夫氏の著書「私の南吉覚書」のまえがきにある、小栗大造氏の俳句が印象に残った。

半田口 言わねど語る 彼岸花

<甲城山常福院~南吉の童話の舞台にもなった>

Jyouhuku

<常福院の前の道>

Jyouhukuinmae

<Wikipedia 「中山勝時」の項で、一部このブログから引用して投稿しましたが、それは作者の森です>

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コメント

新美南吉の自筆版「ごんぎつね」を調べています。中山さまについて、大変勉強になりました。

投稿: 大sansan | 2016.03.03 19:06

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