すこしばかり奇妙な話
小生は船橋の人間である。生まれたのは、東京南部で神奈川に近い場所であるが、東京には通算5年くらいしかおらず、就職してから愛知、兵庫と住処を変えながらも、基本的には千葉県は船橋に居住してきた年数が長い。
しかし、船橋の中心はJR船橋駅の辺であろうが、そちらより東に住んでおり、習志野市も一部生活圏内のようなかたちで、習志野市と船橋市をあまり意識していない。そもそも、なぜ習志野市が船橋の一地名である習志野を市の名前として名乗っているのか分からないし、習志野市は船橋市に市町村合併で吸収されるものとばかり思っていた。
<東船橋の店の「壁画」>
それはともかくとして、そんな地域に住んでいたために、小学校は小生の場合、近所のすぐ歩いていける小学校へ進み、中学校も同様であったのだが、近所の人の中にはわざわざ習志野市に越境通学する人がいた。同じ学年で、S君というのがいて、なぜか習志野市のT小学校に行った。小生も京成津田沼くらいまでは、歩いていけないこともなく、小学生の頃はそのあたりまで遊びにいったのであるが、T小学校をみて、ああここがS君が行った学校かと思ったものである。当時、T小学校にはある噂があり、子供ごころにも怖いと思ったが、その校舎は小生が通っていた小学校と同じように古く、木造2階建てくらいの建物で、金網越しに校庭をみると、なんとも狭いなあ、うちの小学校とたいして変わらないなあという印象であった。だから、なぜS君がわざわざその学校に越境して通っているのか、ますます分からなくなった。
<JR津田沼駅東側から新京成跨線橋を見る>
ずっと、後になり、大人になって「T小学校は京成津田沼駅の南側にあったよな」と地元出身の友人に言うと、みな違うという。実際に場所を確認しても、それはJR津田沼駅の南であって、京成津田沼駅からみると西側の坂の上の高い場所にある。京成津田沼駅の南のほうから移ってきたんじゃないかというと、昔からその場所にあるという。
自分の記憶では、T小学校は京成津田沼駅のすぐ南にあり、場所は平坦な地形でまっすぐな道に面していた。T中学校の間違いじゃないかとも思ったが、それは津田沼町だった頃には存在したが、津田沼町が習志野市になってからは習志野一中、二中というネーミングで、小生の小学校時代にはすでにT中学という名前ではなくなっていた。また、その該当する中学校は全然違う場所にある。
単なる小生の記憶違いなのだろうか。JRと京成を間違えていただけだろうか。しかし、校庭の広さをみると、今のT小学校は小生が通っていた小学校よりはるかに広く、倍ほども広い。昔見たT小学校の校庭は狭かったと覚えている。この矛盾はどうしたわけか。
ある日、習志野の図書館で借りて、コピーした本の挿絵で、昭和3年の津田沼の絵図があり、そこに描かれていたT尋常小学校はまさに小生が記憶していた場所にあった。地形や校庭の大きさも、それなら納得できる。
<T尋常小学校>
やはり移転していたのだが、移転した日付はその小学校のHPによると小生が生まれた年に移転完了したことになっており、当然ながら小生の小学生時分には移転後の場所にあったことになる。では小生が見たと思っていたものは、何なのか。古い校舎が壊されずに残っていたのだろうか。もし、もう古い校舎もなかったとしたら、幻を見たのだろうか。
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コメント
mori_chanは少し、お疲れなのでは。
あまり気にしないほうが良いです。その小学校は円形校舎で有名な学校ですから、あなたが見たのはその学校ではなく、別の建物です。
鄙びた温泉にでも行ってみたら、気も休まると思います。
投稿: 柏の針 | 2008.03.20 16:18