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2008.06.09

三菱重工名古屋航空宇宙システム製作所に秋水を訪ねて

少し前になるが、休みを利用して、三菱重工の名古屋航空宇宙システム製作所に行ってきた。目的は、その史料館にあるロケット戦闘機「秋水」の写真を撮ることである。それは柏で行うイベントのためで、柏に関する陸軍の施設や遺物の写真を集めようと、かつて森兵男のHPに協力して収集したものも含めて、良いものを整理しようとしたときに、肝心の「秋水」実物の写真がないことに気付いたことによる。

名古屋航空宇宙システム製作所と、名古屋の名前が付いているが、正確な住所は愛知県西春日井郡豊山町であるから、自分の住んでいる郡部と同様に田舎かもしれない。地図をみると、豊山町には電車の駅がない。近くに名古屋空港があるので、その交通機関を利用していくと、比較的楽に行ける。

<JR武豊駅>

Taketoyo

朝、会社の駐車場に車を置いて、JR武豊線に乗って名古屋に出た。名古屋まで出て、空港へのバスが発着するミッドランドスクエア前まで出るときに、滅多に名古屋に出ない小生、そのスクエアなるものがどこにあるのかが、まず分からなかった。大体、駅ビルの高島屋にも数えるくらいしか入ったことがない。どうせなら、大名古屋ビルヂング前とか、松坂屋前としてくれればすんなり行けたであろう。だが、もはやロートルとなり、新しい建物のなまえを言われても、まったくチンプンカンプンな小生、松坂屋の前でうろうろして、なんて名古屋も分かりにくくなったのかと思った次第。

結局、よく分からず、路線バスのバス停で時刻表をみると、近くまで行くバスがあった。そのバスで近くまで行って、後はタクシーで行った。ところが、タクシーですぐに着くかと思いきや、結構遠いのである。だんだん、田舎になってきて、半田近辺とたいして変わらない風景となってきた。訪問先には昼から行くように予約していたので、豊山町で食事をすることにしたが、名古屋にいるうちに食事をしておくべきだったかもしれない。

<三菱重工外から>

Mitubisi

名古屋空港のそばといっても、食事ができる場所は「伊予」という名前の喫茶店くらいしかない。タクシーでその喫茶店まで送ってもらって、食事をしてから、三菱重工に行った。

さすがに飛行機を作っている工場だけに、入門の際にはカメラ、カメラ付き携帯、パソコンの類は、守衛所にあずけていくようだ。しかし、小生は工場に入るわけではなく、史料館に来ただけなので、カメラを持ったままであった。

史料館にはいると、職員の人がいたが、どうも休憩時間が続いているようで、テレビを見ている。小生も13時と予約していたので、その史料館の展示をぶらぶらみているだけで、時間を潰した。13時になると休んでいた職員は帰り、一人だけ残った職員の人が案内してくれるのかなと思い、声をかけると、史料室に聞いてくださいとのこと。

みれば史料室があり、その室長さんに写真撮影と柏での展示の許可をもらって、数枚写真を撮った。室長さんは、柏では秋水の研究者がいるでしょうと名前もあげていたが、失念した。多分、図書館でみた秋水地下燃料格納庫の関係の本を書いた人のことだろうと思う。史料館は、なにかの倉庫に使われていたような建物で、零戦と秋水の二機が実機で、あとは機銃とかプロペラといったものや、飛行機の模型がたくさんあった。秋水は、ここに完全な形であるが、五機しか生産されなかったらしい。

<秋水近影>

Shusui

秋水はもともと、刀の名前だそうだ。鋭い切れ味の刀のように、B29のような米軍の爆撃機をばったばったと落とそうという願いが込められていたのであろう。ロケット戦闘機としては日本初であり、世界でも秋水がモデルとしたドイツのメッサーシュミットがあったくらいであった。

<メッサーシュミットの図面>

Zumen

<秋水近影2>

Shusui1

ずんぐりむっくりの形状から小さいもののように思えるが、翼を広げた全長が10m近くある。これは一人乗りで、写真のようにタイヤを履いているが、離陸した後、重みのあるタイヤは落としてしまい、1万メートルくらいまで上昇、何回か降下と上昇を繰り返したあと、最後は滑空した帰り、胴体の下にあるソリで着地するというから、舗装した場所には下りられず、また着地するのは名人芸を要したという。

<秋水の特呂というエンジン>

Tokuro

<燃料輸送管など部品の数々>

Buhin

もちろん、三菱重工の史料館には秋水しかないわけではない。零戦があった。今はゼロ戦というが、当時の海軍ではあくまで「レイセン」である。この零戦は、多分人気があるのだろう。サイズ的には秋水より少し大きいようであるが、たいして変わらないように見えた。

<同じく展示されている零戦>

Reisen

帰りがけに史料室長さんにお礼をいうと、わざわざ見送ってくれた。

そして、三菱重工を後にした小生、どうやって帰ろうかと思ったが、タクシーを呼ぶまでもなく、役場の前に例の名古屋行きのバスのバス停があった。バスにスチュワーデスさんが一人乗っていたが、中部国際空港に行くようであった。名古屋空港と中部国際空港では1時間くらい移動にかかりそうである。

その後、柏での講演会は、展示も含めて無事に終わった。しかし、大きな問題が持ち上がりつつあることを、そのときには分かっていなかった。

<九九式爆撃機のプロペラ>

99shiki

注)当ブログで使用した写真はすべて筆者mori-chanが撮影したものですが、手賀沼と松ヶ崎城の歴史を考える会や小生の親戚森たけ男のHP(千葉県の戦争遺跡)で出てきた場合でも、それは筆者が許可したものであって、著作権侵害にはあたりません。

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