« 2008年11月 | トップページ | 2009年1月 »

2008.12.30

徳川家康と知多半島(番外:布土城跡再訪)

今年も押し詰まり、帰省の前に、布土城跡をもう一度訪問しようと思い、行ってきた。前にも一度見に行ったのだが、どうにもわからず、せめて土塁の端までも残っていないか再度確認に行ったのである。

思えば、知多半島に20何年ぶりかに住むようになって3年もたったが、いまだに下の方は武豊から美浜町の一部しか分かっていない。河和には何度か行ったけれど、内海や南知多町には足が向かないのである。

師崎には会社の忘年会で行ったけれど、昼間自分で車を運転して行ったことは、26年くらい前である。師崎の台地の上から、下界の夜景を見たが、どの明かりが灯台で、どれが日間賀島か、篠島か、さっぱり分かっていないのである。

さて、布土城跡は、愛知県知多郡美浜町大字布土字明山 にあるのだが、そこには城跡の案内板も何もない。近くに神明神社があり、そのちょうど西側が城跡だという。

<布土の神明神社>

Sinmeijinnjya

神明神社は国道方面から名鉄の線路をくぐり、心月斎にむかう途中にある。鳥居は低地にあるが、社殿は少し高い場所にある。

例の布土城跡があると言われているのは、神明神社の西側、道を隔てた畑だそうだが、あまりに狭く感じられ、城跡があるのにふさわしい場所だろうかと思った。もちろん、現在建っている家の場所には昔は人家はなかっただろうし、その家の敷地を含めても少し小さめである。

この城の主は、水野忠分。水野忠政の子で、信元の弟にあたる。明確な事績としては、天文6年(1537年)生まれで、天正6年12月8日(1579年1月14日)に織田信長の有岡城攻めに従軍して討死にした人である。天文年間にこの城を築き、南にいる戸田氏などの守りとしたらしい。

水野忠政の六男か七男とはいえ、水野金吾と言われ、緒川城周辺を守った人物の城にしてはスケールが小さい。もっとも、出城のようなものであるから、簡単な作事ですませ、場所もせまかったのかもしれない。戦国時代の城で、小さいものは50m四方くらいで収まってしまうものもある。しかし、それは地侍の城だ。

<神明神社の西側、城跡の比定地>

Futojyou1

おそらく、昔の絵図をみるに、台地ののぼり端のような場所を、南側を削って切り岸で登りにくくし、東西と北を堀で区画し、一重か二重の土塁で囲った単郭の居館形式の城であったのではないだろうか。そうすると、神明神社の西側の坂の途中の台地中腹の場所でも城としては適当な場所であったのだろう。

念のため、もう少し北へ台地をのぼってみた。すると、広々としすぎて、防御の作事をしようと思うと大工事になりそうである。

<北側から見下ろしたところ>

Futojyo2

結局、先ほどの場所でよかったと思い、また下っていった。道をしばらくおりていくと、以下のような場所に出た。見られるように、木立のあるところは神明神社のある林である。

<神明神社の西側田圃のある場所~ここが城跡中心部か>

Futojyou3

なんとなく雰囲気があるし、南側が一段下がって、切岸を設けたという地形のとおりである。ここが城の中心部ではないだろうか。最初見た場所は、この場所より70mくらい東側である。そこも城跡の一部であろうが、中心はこちらのような気がする。

結局、土塁のひとつも見つからず、一日が終わった。

しかし、なぜかくも城跡が跡形もないのであろうか。緒川城も土塁が一辺残っているのみである。

<緒川城跡の土塁>

Ogawajyositakara

*切岸は、城の防御のため、斜面を切り立った崖のように削り、敵が容易にのぼれないようにした作事

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008.12.13

芦屋から有馬へ

先日、仕事で有馬へ行った。別に温泉につかりにいったのではない。仕事の検討会の合宿に適した、あいている会社の保養所がそこしかなかったためである。かつて住んでいた芦屋に前泊し、朝バスに乗って有馬まで。およそ30分強でつく。

しかし、あまりにも最近来ていないので、途中の景色がはじめて見るような気がしてならなかった。JR芦屋の駅前から阪急バスにのり、芦屋川駅まで行くと、あとは登る一方である。それにしても、住んでいるころには、ライト邸などの有名な建物や観光名所には興味がなく、谷崎潤一郎記念館に何度か行ったきりであった。

そのライト邸などの脇をおかまいなしにバスは登っていくが、つづら折の山道はバスも登りづらかろうと思う。しばらく行くと、芦屋市の奥池という地域になり、ここで大半の乗客は降りてしまう。バスで芦屋市街から有馬まで行こうという人は、一部の地元の人しかいないのである。

<有馬までのバスの窓から>

Ashiyaue2

途中、芦有道路の「展望台」バス停付近では、わざとバスが速度を落としてくれる。バスに乗った状態で、下界を見ることができるようにとの配慮である。ちなみに、この芦有道路は芦屋と有馬を結ぶ道路という意味で、「ろゆう」道路と読むが、小生それを芦屋有料道路と思い、「あしゆう」道路と言っていて、かみさんから馬鹿にされた。

<展望台>

Tenboudai

<展望台付近の大阪湾をのぞむ景色>

Ariashi

もうあまり、このあたりも来ることがなくなるだろう。思えば、芦屋も良いところだったのだが、ほとんど小生にとっては、良いことがないまま、当地を離れることになった。それを再訪するのは、自分の意思ではなく、会社の用事があったからである。

有馬について、有馬グランドホテルにご飯だけ食べに行った。一人とぼとぼ歩いてきた小生をホテルの人が出迎えてくれたが、宿泊ではない旨を告げても、丁寧な応対であった(この人は帰りにも覚えていてくれてバスでおくると言ってくれたが、行き先があまりに近いのでそれは辞退した)。さすがに、ご飯はうまかったし、庭をぶらぶらしてようやく、有馬に来たという感じがした。このホテルの庭には噴水が2つあり、その展望台から、有馬の山が色づいているのが見晴らせた。

<有馬グランドホテルの庭からの景色>

Gurando

その後は結局1日半会社施設に缶詰となり、夜まで検討会は続いた。そして、合宿が終わると、最寄の神戸電鉄有馬温泉駅から急ぎ知多半島に戻ったのであった。

<有馬温泉駅付近の噴水>

Arima1

Arima2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年11月 | トップページ | 2009年1月 »