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2009.02.15

東葛地方で中世城郭発見か (続報)

前回、掲載した中世城郭を測量し、縄張り図をかきつつあるが、方形居館形式と思っていたのは誤りで、東の主郭の隅を頂点とし、西側は円弧を描く、扇のような形と判明した。

すなわち、西側は低地に面し、いわゆる弧状塁線をもった城ということになる。これは武田氏の丸馬出しと同様のつくりであり、低地にはいった敵に少ない人数で矢を射掛けられるという軍事的な利点をもっている。弧状塁線の下の斜面は切岸で削られ、下には削り残した竪土塁で仕切られた腰郭があり、さらにその下は自然地形以外にいくつか井戸状のものがあって、城の遺構なのか、近現代で耕作か何かの都合で作られたものか判別がつかない。腰郭下の状態については、何かしたかどうか、地主に問い合わせてもらっているが、江戸時代に何かしたということなら、見当がつかないだろう。

そのほか、主郭の西側に一段低く小さな副郭があり、さらにその東側には半円状の腰郭があるのがわかった。副郭からは南に細長い郭があり、その細長い郭とは段切で仕切っている。また細長い郭の先端近くに土橋状の土塁あることは、前回書いたとおりであるが、副郭と細長い郭の境界から5mほど南にいったところから土塁が低地にのび、その土塁を伝って下に下りることができることが分かった。つまり、そこにも虎口があったようである。

<西側の腰郭>

Kosikaku 

低地には横堀があるが、細長い郭から下に続く、土塁の先がきれていて、本来長く続いて下でも郭があったのか、もともと短い土塁なのかがよく分からない。井戸のような方形の窪地が何箇所かある。まさか障子堀ではなかろうが、なにせ、藪がすごく、腰郭辺りから、誰かが指揮して、数人で手分けして調べるとかしないと、全貌が掴み難い。

<土橋状の土塁を上から見たところ>

Dobashi

これは結構難物かもしれない。細長い郭は先端が少し低くなるが、台地の立ち上がり箇所にあって、遠く川のほうまで見渡せるので、櫓でも組んで物見としたかもしれない。とにかく、やたら低地からの侵入に警戒した作りになっている。

つまり、当初考えていた単純な地侍クラスの丘城ではなさそうである。もしかしたら、小田原北条氏関連か。

家でいえば、一階と二階と中二階があって、二階が半分円形になっているようなもので、小さいけれど、構造的にも面白い城である。

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