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2009.03.04

BUMP OF CHICKEN の歌のモチーフとされる臼井城宿内砦跡

先日、テレビで佐倉市の紹介をしていたが、そのなかでBUMP OF CHICKENという佐倉市臼井出身者で結成されたバンドが、臼井城の宿内砦跡である宿内公園を歌のモチーフとしていると言っていた。そして、彼らの「グロリアスレボリューション」というの曲の撮影が行われたのも、宿内公園であった。宿内砦といっても、ほとんど知る人がいないだろうが、BUMP OF CHICKENの「くだらない唄」「続くだらない唄」という歌のモチーフになったという公園といえば、知っている人は多いかもしれない。

このBUMP OF CHICKENというバンドは、メンバーが佐倉市臼井の幼稚園か小学校からの仲間という佐倉郷土色の濃いバンドである。

臼井といえば、やはり臼井城。実は、小生は元は石垣に天守閣という彦根城や姫路城といった城には興味がおおいにあったが、土塁などの土造りの城にはそれほど興味がなかった。もともと、そういう土造りの城は、群馬県のある山城を手始めに、小学生のころから知っていたとはいえ、壮麗な石垣と白壁の城のほうに関心が向いていたのである。一時期、関西在住であったことが、その傾向を強めた。なにしろ、城といえば一番近くにあるのは神戸の花隈城で、住んでいた神戸市からは彦根城や姫路城といった城にも、快速電車に乗って出かけていけたのである。

長い関西での生活の後、千葉に戻ってきた小生は、たまたま車で行ったことのあった臼井城にまた行ってみようと思い立ち、小さな城と思いこんでいた臼井城の堀が意外に深いことを知り、それから中世の土造りの城に目を向けるようになっていった。

<宿内公園>

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臼井城には、小竹城や志津城といった支城と、5つの砦があった。その砦とは、北に洲崎砦、西北に仲台砦、西南に田久里砦、南に稲荷台砦、南東に宿内砦の5つである。そのうち、宿内砦は、「利根川図誌」にも「臼井旧事録」にも記載がない。しかし、臼井城の砦としては、唯一明確な遺構が現存する。この宿内砦は、かつては長源寺の寺域であった。「利根川図誌」には、その場所は長源寺として記載されている。長源寺は元亀元年(1570)、原氏に招かれた道誉上人により、「新大巌寺」として創建され、安永元年(1772)に火災で焼失するまで、宿内砦のある台地上にあり、かつてその台地は長源寺山と呼ばれていた。長源寺は、現在宿内砦のある台地下北西に隣接する谷合にある。

<道誉上人の墓>

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宿内砦は、長源寺の東南にある舌状台地の先端部分を占める。西側道誉上人の墓のある墓地は結構な広さがあるが、その墓地のある台地中腹の平場を通って台地の上まで階段が付いている。そこから階段の道を上り切った所に南北約150m、東西の最長部分約100m、短い所でも約50mの変形五角形の大きな郭がある。その南に高さ2m程の大きな土塁があって、南側の郭と区切っている。その土塁の一端は櫓台となり、主郭虎口防備のため、広角に矢を射るように配置されている。南側の郭は南北約100m、東西約60mの長方形で台地鞍部に続いている。

<宿内砦の土塁>

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舌状台地の先端が北側に向いている地形から見て、北側の最先端部分を占める大きな郭が主郭である。その郭の東側には、2~3m程低く、腰郭があり、その下台地中腹にも小さな腰郭が2つある。西側の道誉上人の墓のある墓地も台地中腹に付いた大きな腰郭である。南側の郭の東側にも小さな腰郭があり、その外側に堀底道と思われる切通し道がある。

<土塁は一部かなり高くなっている>

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かつては、長源寺自体がいわゆる城郭寺院として砦の役割を果たしていたと思われ、臼井城西の外郭や仲台砦とあわせて、臼井城の東西両翼の守りを固めていたと思われる。現在臼井城実城の北側直下にある円応寺もかつては今の場所でなく、第3郭のあった「外城」に隣接する「寺台」にあったという説もあり、円応寺も城郭寺院であった可能性がある。

宿内砦址は、長源寺移設後は原氏の家老だったという大森氏の私有地となり「おおもり山」と呼ばれていたが、市の借上と公園化、所有者の変更を経て、近年のマンション開発に抗した住民運動の結果、良好な遺構の保存状態のまま宿内公園として保存されている。
 

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