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2009.04.18

ああ武豊線

武豊線は愛知県知多半島の武豊から北をはしるJRの路線であり、一応大府までなのであるが、朝などは通勤用に名古屋への直通電車も走っている。武豊から、大府までの駅は、武豊―東成岩―半田―乙川―亀崎―東浦―石浜―緒川―尾張森岡―大府と10駅のみである。

小生は、武豊線にはもっぱら東成岩駅から乗るのであるが、それは会社の正門が駅から歩いて1分という立地であり、車を会社の駐車場において出かけることができるためである。以前、といっても27年も前頃は、名鉄の知多武豊駅の駅前に無料の駐車場があり、名古屋などに出かける場合には、そこに車を置いていた。しかし、その駐車場は何年も前に廃止され、今は有料の小さな駐車場があるほか、武豊町役場の駐車場が金曜日の夜から日曜日まで開放されているが、土曜日、日曜日には朝早く行かないと満車になってしまう。

この東成岩駅は、かつては有人駅で、小生が会社に入って転勤によって、最初に知多に配属となった昭和57年(1982年)頃は、まだ二人くらい駅員さんがいたと記憶している。今でも駅舎の庭にセメントでつくったような花壇があるが、それは駅員さんがいたころのものであろう。今は乗降客が多いものの、乙川などと同じように無人駅である。

<東成岩駅>

Higashinarawa_station_03

武豊線というように、武豊港に揚げられた荷物を名古屋方面に運ぶというのが、貨物としては明治19年(1886年)の開業当初からの目的になっていたらしい。しかし、武豊駅は、当初今の場所ではなく、国道の里中交差点付近にあった。どうも、里中のあたりから、道沿いに細長い空き地があり、廃線跡ではないかと思っていたが、そのとおりであった。

何気なく乗降していた武豊線であるが、明治19年(1886年)の開業という古い歴史をもっており、駅舎などの設備にも歴史的なものがある。開設にあたっては、測量はイギリス人顧問のウイリアム・ヴィッツから助言をうけ、鉄道技術については技師長ボイルの指導も仰いだ。当初鉄橋材料は、日本国内では調達出来ず、イギリスから輸入しなければならなかったという。しかし、開設当初苦労して誕生したにも関わらず、その後の飛躍的発展はなく、いまだに単線、しかもディーゼル車が走っている。単線のため、上下線は決まって緒川駅ですれ違うことなる。こんなローカル色が強い路線は、全国的にも珍しい。

武豊線の年表(Wikipediaより)

1886年(明治19年)3月1日 - 武豊 - 熱田間が開業。開業当初の通称は半田線。現在の武豊線にあたる区間に緒川駅(初代)、亀崎駅、半田駅、武豊駅開業。
1887年(明治20年)9月10日 - 緒川駅(初代)廃止。大府駅開業。
1888年(明治21年)9月1日 - 東海道線浜松 - 大府間が開業し、大府 - 武豊間(12M53C18L≒20.38km)は東海道線の支線となる。
1889年(明治22年)7月6日 - 営業距離の単位をマイル・チェーンのみに簡略化(12M53C18L→12M54C)。
1892年(明治25年)6月1日 - 武豊駅が現在地に移転、53C(≒1.07km)短縮。
1895年(明治28年)4月1日 - 線路名称制定により東海道線の一部となる。
1900年(明治33年)3月1日 - 緒川駅(2代目)開業。
1902年(明治35年)11月12日 - 営業距離の単位をマイルのみに簡略化(12M1C→12.0M)。
1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定、大府 - 武豊間が武豊線となる。
1915年(大正4年)2月15日 - 武豊駅構内扱いで武豊港まで路線を延伸。
1930年(昭和5年)4月1日 - 営業距離の単位をマイルからメートルに変更(大府 - 武豊間 12M→19.3km)。貨物支線 武豊 - 武豊港間 (1.0km) が正式に開業。旧武豊駅の場所に武豊港駅開業。
1933年(昭和8年)12月7日 - 尾張森岡駅、尾張生路駅、乙川駅、東成岩駅開業。
1934年(昭和9年)8月22日 - 藤江駅開業。
1942年(昭和17年)3月31日 - 東成岩駅休止。
1944年(昭和19年)11月11日 - 東成岩駅再開。尾張森岡駅休止。尾張生路駅と藤江駅を統合し東浦駅開業。
1957年(昭和32年)4月15日 - 尾張森岡駅再開。石浜駅開業。
1965年(昭和40年)8月20日 - 貨物支線 武豊 - 武豊港間 (1.0km) が廃止。武豊港駅廃止。
1984年(昭和59年)1月10日 - 東成岩 - 武豊間の貨物営業廃止。
1984年(昭和59年)2月1日 - 荷物輸送廃止。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により東海旅客鉄道が承継。日本貨物鉄道が大府 - 東成岩間の第二種鉄道事業者となる。
1992年(平成4年)10月12日 - ワンマン運転開始。
2001年(平成13年)2月11日 - CTC化。
2006年(平成18年)11月25日 - 全駅にTOICA導入。ただし、大府駅以外の駅は簡易TOICA改札機であり、一般の磁気乗車券を処理するいわゆる自動改札機は大府駅以外の駅には設置されていない。

小生武豊駅には、たまに歩いて駅まで乗車していた。また、遠距離切符を買う時には、武豊駅か、半田駅にいくしかない。だから、武豊駅、東成岩駅、半田駅は、とくに身近な駅である。 武豊駅の一段高い入口付近には自動車も上がれるのである。それは自動車で家族などを送迎するために、そういう構造になっているのだが、さすがに車で乗り付けて、そのまま電車に乗る人はいない。

この武豊駅には、「高橋煕君之像」という胸像が駅の入口のところにある。昭和28年(1953)の13号台風の際に、武豊駅と東成岩駅の線路が流されたことに気付いた武豊駅の高橋煕駅員は、乗客を乗せて東成岩駅を出て武豊駅に向かう列車に対し、東成岩方面に走って発煙筒を焚いて列車を救ったが、自らは殉職した。武豊駅にあるのは、その高橋煕駅員の像である。殉職した高橋煕駅員は、「国鉄職員の鑑」と報道され、全国国鉄職員や小中学生などの募金により、像が建てられた。なお、これは銅像のように見えるが、常滑で作った陶製だそうだ。

<武豊駅~1953年の13号台風で殉職した駅員の像>

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実は武豊駅のある場所には、戦国時代に周辺の領主であった岩田氏が城を構えていた。長尾城というが、その城域は一部武豊駅の北側の一部敷地と重なっている。城主岩田氏は、武雄神社の神官を兼ねていたということであるが、京都に出自をもつらしい。城主では岩田杲貞の名が伝わっている。遺構は堀跡が多少残っている程度で、土塁などはなくなっている模様。国鉄武豊駅が出来たために、その城址の東半分が削られたが、たしかに武豊駅から電車に乗って西側をみると緑の木々に覆われた小高い台地が南北に100mほど続いており、そこに城があったのが納得できる。

最終的に、同じ知多半島の北部で力を蓄え、徐々に実力を発揮していった緒川水野氏の水野信元に、天文12年(1543)成岩城の榎本了圓が滅ぼされたのと同じ時期に攻められ、降伏している。その最後の城主は岩田左京亮安広、出家して杲貞と名乗った。

長尾城の周辺には、城に関係ある地名があるが、「上ゲ」というのも、その一つである。名鉄の駅に「上ゲ」という駅が知多武豊駅と青山駅の間にある。

<武豊の春祭りの様子>

Taketoyo

しょうもない話であるが、東成岩の成岩が「ならわ」と読めない人は、「なりいわ」と呼んでしまう。それで成岩を「ならわ」と説明するのが面倒で、小生なるべく東京などでは切符を買わないようにしていた。

成岩には成岩神社があり、その隣接した場所には鳳出観音がある。これは成岩の常楽寺の典空顕朗上人が、慶長元年(1596)、常楽寺の前身である天台宗仏性寺の観音堂を半田市有楽町二丁目の小高い丘に移したのが始まりである。鳳出観音の名前は、元は常滑の時宗の僧侶であった榎本良圓が城主をしていた成岩城を攻略するために、天文年間に緒川水野氏の勢力が築いた成岩砦に由来する。つまり、砦のきずかれた場所が「とりで山」と呼ばれ、そこに観音堂が建ったため、「とりで観音」と呼ばれるようになった。

成岩砦が対峙した成岩城は、東成岩駅をまっすぐ国道にむかって歩き、国道に突き当たった辺りの台地上にあった。しかし、現在は遺構がほとんど残っておらず、「成岩城址」と刻まれた石碑が建っているのみである。

考えてみると、武豊線周辺には、結構城跡などが多い。成岩から北では緒川城が緒川駅近くにあり、村木砦は尾張森岡駅の近くにあって、武豊線が砦跡の上を横断している。その他、乙川や亀崎の駅周辺にも小さな城跡がある。これは、中世から存在した集落を結ぶように、知多半島東浦沿いの平地を武豊線が走っているためである。

ただ、半田駅のすぐ近くには、文明、明応年間に築城されたという半田城、別名坂田城という城があったものの、城の遺構はない。ただ、堀崎、城屋敷という関連地名が残っているのみである。近くに紺屋海道という古い道があるが、染物屋が沿道にあり、商人や職人たちが往来した海岸線沿いの道である。また、紺屋海道付近の浄土真宗の順正寺には、伝来の絵像阿弥陀如来があり、それは永正10年(1513)に道場創立者宗閑法師に本山の法主實如上人から下附されたものであるが、その裏書に「尾州智多郡坂田郷」とある。その坂田郷が、「さかた」ではなく、「ばんだ」となり、「はんだ」となったのが半田の名前の由来だそうだ。

<半田駅のホーム>

Handaeki

半田駅は、さすがに知多半島の中心とでもいうべき場所を象徴して、今は少しく寂れているが駅前は広く、中埜酢店経営者の広大な邸宅も近い。駅舎の一部である跨線橋は、明治43年(1910)11月に設置された全国で最も古い跨線橋である。跨線橋の支柱には「明四十三鐡道新橋」と鋳込まれている。現在の跨線橋は、塗装が新しくされているのと、ホームにおりてきたところに手すりが付け加えられている以外は改変されることなく、原型が保たれている。通路はひと二人がようやくすれ違うことができるほど。昔の建造物の割に、階段はさほど急ではない。跨線橋とともに、煉瓦造りの油脂庫もあって、かつては信号機用の灯油が保管されていた。

<半田駅の跨線橋と油脂庫>

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半田駅は、跨線橋以外、駅舎自体はさほど古いものではない。その隣の乙川駅も同様である。

ところが、亀崎駅については、駅舎自体が明治19年(1886)の開業当初のものであるというから、驚きである。亀崎駅は乙川駅とほぼ同規模で、逆に乗降客は乙川より少ないように思うが、ここは有人駅である。

しかも、明治19年の駅舎が、いまだに現役である。これはJRでは全国一古い駅舎らしい。ただ、120年もたっているのに、それほど古い建物という印象はなく、よく田舎で見かけるようなイメージの駅舎である。

<亀崎駅>

Kamesakieki

亀崎の北は東浦町であり、武豊線の駅も東浦、石浜、緒川、尾張森岡と続く。

その歴史を書き出すと、長くなりすぎるのでカットするが、村木砦近くの尾張森岡駅を後にして、石ヶ瀬川をこえるときに、高い鉄橋の上になる。その景色は、下の貨物路線や自動車道路を見下ろす形となり、武豊線随一の見どころかもしれない。

<石ヶ瀬川を越えたあたり>

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大府駅で、武豊線は東海道線に合流する。大府までくると、名古屋は目前である。そして、大府駅では、刈谷、岡崎方面の乗り換えができる。大府には、郊外には工場などもおおいが、駅周辺の商店街にとんでもない古い装いの店(よろずや風)があったりする。やはり歴史の古い町である。

<大府駅>

Oobu

今では東海道線になるが、大高駅の辺りから、丸根砦のある台地が見える。鷲津、丸根の両砦は、織田勢が今川方の守る大高城に対峙するために築いた砦である。駅から、そういう歴史的な場所が見えるのであるから、なんともすごいところである。 かつては、熱田までが武豊線(半田線)の領域であったが、今は大高駅も東海道線の駅である。

<車窓からみる丸根砦跡>

Oodaka2

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コメント

すごく調べてありますね。
記事を読んで、なるほどそうかと。

この記事を紹介させていただきました。
またこちらの地方の記事を楽しみしています。

投稿: じゅんちゃん | 2009.04.19 08:49

じゅんちゃんさん、コメントありがとうございます。

武豊線の駅も含め、半田は身近な都市であり、いろいろ今までも記事を載せています。

今後ともよろしくお願いします。

投稿: mori_chan | 2009.04.19 23:40

 こんにちは。鉄道ネタなのでやってきてしまいました(笑)。
 先ず亀崎駅の駅舎ですが、おそらくは現役最古なのですが、開業当初のものは1895年3月7日の火災で焼失しており、時日は不明ですが翌年度に新設されています。
 このことは『鉄道ピクトリアル』1990年3月号に、蒸気機関車の研究の第一人者であった臼井茂信さんが、「現存の武豊線亀崎駅は再建-初代は明治28年に焼失」というタイトルで書かれた記事で記しており、火災とその後の新設については『明治27年度鉄道院年報』、『明治28年度鉄道院年報』という公式記録にも掲載されています。
 もっとも、それにしても100歳以上の駅舎のようです。ただ、簡単な構造の建物なので古臭さを免れているのでしょう。

 それから半田駅の跨線橋ですが、同じ場所にある跨線橋としてはJR最古なのでしょう。しかし、より古い1907年鐵道新橋製造の跨線橋が山陰本線八鹿駅で現役です。ただし、そちらは元々は福知山駅の跨線橋で、それを1955年に移転しています。

投稿: 伊 謄 | 2009.04.25 23:20

伊 謄さん、コメントありがとうございます。

森兵男の親戚のmori-chanこと森のかたわれです。兵男のHPの手伝いをしており、それで「千葉県の戦争遺跡」HP(http://www.shimousa.net/ )には河和海軍航空隊とか、愛知県ネタが載っているのです。「千葉県の・・・」といっているのに、愛知県のものを載せるのが、たけちゃんマンのすごいところ。

それはともかくとして、武豊線の終着駅の武豊駅から歩いて10分ほどのところに、転車台のようなものがあり、そこが昔の武豊駅と知って興味を持つようになりました。といっても、乗り降りするのは、東成岩、武豊、たまに半田です。

亀崎駅が一度もえていたとは、ぜんぜん知りませんでした。それでも日本一古い現役の駅舎とは。

半田駅の跨線橋も、そんなに古そうに思いませんでしたが、オリジナルで残っている分では最古なのですね。でも移設したものでは、もっと古いものがあるなら、それが最古というべきでしょうか。
いずれにしても、古いものだらけの路線ですね。

投稿: mori_chan | 2009.04.27 00:26

 いちばんヒットを打っているのはイチローだけれども、日本記録は張本という考え方を応用すれば、いちばん古いのは八鹿駅のものだけれども、日本記録として古いのは半田駅ということになりそうですねぇ。

投稿: 伊 謄 | 2009.04.28 01:01

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