千葉大園芸学部でプレゼンを行う
先日、柏の葉里さくらまつりの第一会場である柏の葉の千葉大園芸学部千葉大学環境健康フィールド科学センターにて、柏の葉里さくらまつりのシンポジウム、市民団体の発表などが行われ、小生所属の松ヶ崎の会からはYさんと小生が出て報告やパネルディスカッションを行った。いささか、場違いの感があったが、たまたまこの2月から3月に松ヶ崎城跡の植樹を行い、柏市長と懇談したり、目録や桜の枝の贈呈式があったりして、その関係で呼ばれたのである。
市民と大学との連携では千葉大、カレッジリンク、かしはなプロジェクト、市民団体では当会とピースメーカーズ、NPO法人こんぶくろ池自然の森が報告を行ったが、来ている人は千葉大関係者、県・市の役所の人と市民団体関係者、植物に興味のある人などで、全部で80人くらいだったように思う。
<NPO法人こんぶくろ池自然の森の報告>
千葉大安藤教授の基調講演は、桜に関する様々な研究、ソメイヨシノはなぜそう呼ばれるか、あるいはオオシマザクラとエドヒガンザクラのなかのコマツオトメ系の品種との交配で生まれたことを証明する話などで、アントシアニンとか塩基配列とか、昔高校の化学か生物の授業で習ったような用語がいろいろ出てくるが、35年以上前のことゆえすっかり忘れているので、一部よく分からないところがあった。これでも、理系出身なのだが。安藤教授の話の後、しばらく別の講演者から大学との連携の話が終わった後に少し休み時間があり、いきなり10人くらいがいなくなった。どうも、その人たちは安藤教授の話を聞きに来たらしい。
休み時間の後、さっそく小生のプレゼンの時間となった。 少し遅れて会場に入ったために、メモリースティックに入れて持ってきたパワーポイントのデータをPCに格納して、たまたま持っていた会のビデオをDVD化したものをPCにセットした。柏市の公園管理課の人たちは、遅れて会場に入った小生たちには冷や冷やしたに違いない。どうもすみませんでした。ちなみに、PCへのデータのセットは課長自らやってくれた。
講演は2人で交代して実施、前半の小生の話は、歴史の話とか、会の活動についてで、多分会場の人たちにとって興味はあまりないものと思われた。後半Yさんが話した植樹については、会場のテーマとあっていただろう。
そもそも、この里さくらまつり自体、柏の葉に八重桜の並木道をつくるというのが主眼で、官民と大学あわせてのプロジェクトになっており、民とは三井不動産とTXである。産官学のプロジェクトと言う訳だ。
三井は、この辺には縁が深い。柏の葉は、もともとは幕府の牧のひとつ、高田台牧があったところで、明治新政府が主導した開墾があり、東京窮民や近在農家の次三男が厳しい環境と戦って開拓していったところである。その明治新政府の開墾で、開拓会社が作られたが、その開拓会社を実質的に支配する政商たちが大地主で、開拓民は小作農という関係が続き、明治新政府の不手際もあって、初期の東京窮民を中心とした開拓民は多くが脱落、わずかに残った初期開拓民と途中で開拓に加わった近隣農民の手で開拓は成し遂げられた。このように開拓会社は政商を中心としたが、そのなかに三井が入っていた。大隈重信も大地主であったが、明治期の古い地図には大隈の屋敷がのっている。巨大な屋敷が十余二の開墾地にあったわけだ。
今も、高田原開拓碑が柏市十余二のバス停近くに、厳島神社があるが、その小さな境内に、「高田原開拓碑」という石碑がたっている。これは昭和29年(1954)8月に建てられたが、この碑文は以下の通りである。
<「高田原開拓碑」>
「当地は元小金原高田台牧也
明治二年より入植開拓せり初期入植者は自作農たるべき筈の処大隈及鍋島等の所有となりて八十余年昭和廿二年来の農地改革により初志貫徹すべて入植者の有に帰す」
その土地の管理は、三井組代理人であった市岡晋一郎という人物がしていたらしい。陸軍の飛行場になってからも三井が関係していたという説があるし、それが戦後ゴルフ場になってからは、三井のゴルフ場で三井資本は当地にあった。
十余二、高田原の開拓住民の運動の先頭にたった石塚与兵衛は、農民たちを糾合し裁判闘争に明け暮れ、何度も財産を強制処分されたにも関わらず、周囲の人たちに支えらた。そして80年もの歳月が過ぎ、遂に入植者の勝利となった。近くの豊四季でも同様な入植者の苦闘があり、農民の内職であった木釘の生産を記念した「木釘の碑」などがある。
こういう経緯は、柏の葉一帯に住むマンションや新しい一戸建ての新住民は、知っているのだろうか。
すこし、話が脱線したので、元に戻すと、ともかくも市民団体の講演というのが終わり、千葉大の先生の司会でパネルディスカッションを行ったが、すこし余計な話をしたようだ。後でYさんから、余計なことは言わないようにと言われた。
しかし、きれいなパンフレット、ヨーロッパのガーデニングのような話と当会の植樹のような泥臭い話は、大きな落差がある。小生個人は、他団体の発表で共感できるのが、こんぶくろの池の話くらいで、あとは余りに優等生的で、多少違和感を感じた。
ただ、帰り際に、小生にたいして平将門伝説について質問してきた人がいたのは、意外というか、自分のテリトリーの話が出来て、少しほっとした。
<最後に行われた八重桜並木寄贈式>
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