徳川家康と知多半島(番外:大高城に関する論文)
最近思い立って、大高城について論文というか、とにかく文章を書いた。それは、いままでネット上で書いたものは、何か論文等を書く場合の参考文献にならないことが多いと、知人から教えられたのと、城跡について自分の所属する地域の会の会報くらいにしか、実際紙の資料としては書いたことがなかったからである。それで、以前から関心のあった大高城について論文を書き、愛知中世城郭研究会の論文集「愛城研報告」に載せてもらおうと思ったのである。それにしても、なぜ、千葉県に住んでいるのに、愛知のことが気になるのか。自分の先祖が、あちらの人間だからであろうか。
大高城を最初に訪れた時は、歴史上有名な城なのに、遺構らしいものといえば、本丸の西南側にある堀くらいで、あまり面白くないと思っていたが、大高の地理的な位置付けや、今川義元が大高を是非ともおさえるべく、桶狭間合戦の際にも大高を目指していたことなどを知り、後からいろいろな関心が湧いてきたといえるだろう。
<大高城の一角にある土塁の名残>
ところで、関東にいて愛知県の遺跡や歴史について論文を書こうとすると、まず困るのが文献である。以前、愛知県に住んでいた時は、自分の住所からも近い阿久比の図書館にいけば、殆どの愛知県内の市史や地域史関連の資料を閲覧することができた。阿久比になければ、常滑か半田の図書館を探せば大抵のものはあったと思うし、水野氏関連なら東浦町や刈谷市の郷土資料館に行けば、何かあったのある。小生は、刈谷まで行って、なぜ刈谷城は亀城といったのかと、変な質問をしたことがあるが、そういう質問にも資料館の人は親切に答えてくれる。
<大高城の北側>
しかし、関東では文献がなかなかない。国会図書館にいくしかないか、と思っていたが、意外にも会社の近くからバス一本で行くことのできる、有栖川宮記念公園にある東京都図書館に、結構愛知県に限らず地方史関連の本があることが分った。それで、論文を書きはじめた今年の6月以降、ときどき帰りに東京都図書館に行って文献を読むことになった。また、東京都図書館になく、国会図書館にはマイクロフィルムでしかない、大高城についての古い冊子は、いくつかの愛知県内の図書館にあることが分ったが、そのために愛知県に行くのも大変であり、幸い通信販売もしている刈谷の古書店にあることが分ったので、郵送してもらった。
また、当然のことながら、愛知県在住時には時々現地に行ってみてくることが出来たが、もはやそれができなくなり、結局以前行った時の記憶に頼って文章を書くことになった。大高城にたどり着くまでの、道幅の狭さ、春江院などの周辺の寺院や街並み、書いているうちに記憶がいろいろ記憶が甦った。
ところで、文献をあたったなかで、図などを論文中で使用したいものがあり、それについては文献の発行元に使用許可をとることになった。小生の場合は、愛知県教育委員会、愛知県図書館、蓬左文庫の3か所から使用許可を得た。
ちなみに、以下が許可申請で提出したものである。
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複写・複製物の使用(図版掲載・展示等)許可申請書
平成22年6月24日
愛知県知事殿
申請者 氏 名 XXXX
住 所 XXX・・・X
〒XXX-XXXX
電話番号 XXX・・・X
下記のとおり申請します。
1 使用する資料名
『愛知県中世城館跡調査報告 1 尾張地区』
上記資料の P140 地籍図58
P233 第6図 大高城
P281 5. 知多郡大高村古城絵図(蓬左文庫蔵)
を論文中に転載いたしたく
2 複製物の使用目的および掲載資料名(展示の場合は期間・場所)
大高城に関する城郭研究論文のなかで、論考の資料として使用する
掲載資料は、「愛城研報告」第14号 (愛知中世城郭研究会 発行)
(以下、3.複製の方法、4.使用条件を記載していたが、省略)
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なお、水野氏史研究会の水野青鷺さんには、非常にお世話になり、そのご教示があったので、何とか論文として完成したかと思う。愛知中世城郭研究会の石川さん、奥田さんにも、原稿の書き方その他を教えて頂き、お世話になった。
出来あがったものは、多少長くなったために、愛知中世城郭研究会のほうで2つに分割し、前半を「愛城研報告」第14号、後半を同第15号に掲載するとのことであった。
<「愛城研報告」第14号の表紙>
完成した原稿を送ったのが7月10日過ぎ、8月に入り、「愛城研報告」第14号が送られていた。早速、水野青鷺さんに一部送り、画像等使用申請を出した愛知県教育委員会、愛知県図書館、名古屋市蓬左文庫には成果物一部を寄贈することが使用許諾条件になっていたので、各一部を提出した。
愛知県教育委員会は、愛知県庁の西庁舎の中にある。西庁舎は何の変哲もない少し古いビルであるが、住所は中区三の丸で、文字通り名古屋城の三の丸跡にあるのである。たまたま平日が会社の休みとなり、東京から名古屋までトンボ帰りで行ってきたのだが、途中県庁から名古屋城の掘端を歩いた。うっそうとした木々の匂い、子供のころの夏の記憶が少しく甦った。
県図書館を出ると、近くのバスからバスに乗って徳川町へ行き、蓬左文庫へ。徳川園まで来ると、門のあたりは以前来たときと変わっていないように思ったが、徳川美術館の建物は昔来た時の建物ではなく、小さなビルのようになっていた。蓬左文庫で職員の方に、「愛城研報告」第14号を寄贈すると、徳川美術館で大名古屋城展をやっているので、是非見てくださいと勧められ、展示を見た。正面に徳川家康がお気に入りだったという白糸縅の鎧兜が飾られていた。茶道具などは見てもよく分からないが、金梨地に蒔絵の道具類、葵の紋が模様としてあしらわれ、内部にも絵が描かれた駕籠などは、一目で贅をこらした大名のものと分かる。ショップでは、空襲で焼失した名古屋城天守閣のオリジナルの姿を伝える、古写真のコピーが絵葉書になっていたので買い求めた。
<名古屋城の堀>
思えば徳川美術館にも蓬左文庫にも、随分久しぶりに来た気がする。もしかすると、20年以上来ていないのではないだろうか。帰りに新出来のバスの乗り場で、居合わせたおばあさんにバス料金のことを聞かれたのだが、小生のように瞬間的に戻ってきた人間に聞かないでほしかったなあ。
名古屋の新出来辺りのバスが道路の内側の車線を走り、道路の真ん中にバス停があるのも、今まで何度も見ていた筈なのに新鮮に見えた。
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