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2010.12.31

今年1年を振り返って

今年はとにかく忙しい1年だった。

「公私ともに」と言いたいところであるが、「私」の部分は余りないのである。しようもないかもしれないが、時系列で出来事を追っていくと以下の通りになる。

1月 

柏市松ヶ崎城跡の植樹について、手賀沼と松ヶ崎城の歴史を考える会では樹木里親制度を考案し、市民有志を募集。小生は当時副会長。

2月

柏ロータリークラブが、松ヶ崎城跡に植樹(約70本) 

松ヶ崎城跡の市民有志による植樹(50本)の準備を行う。本来は、28日に植樹&記念式典を行う予定であったが、雨天により中止。植樹自体は、翌3月1日に地元の造園業者の手によって行われた。

28日は柏に用事がなくなり、船橋の飯盛り大仏を見に行く。

<飯盛り大仏>

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3月 

3日、柏市の秋山市長に対して、松ヶ崎城跡植樹樹木の目録などを贈呈する贈呈式に 出席(朝日新聞に掲載される)。

<贈呈式:右が秋山浩保市長>

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31日、長年つとめた鉄鋼メーカーを退職、子会社に移籍となる(その前に永年勤続者むけの旅行に三河湾に行くが、結局岡崎あたりをブラブラして帰ってきた)。

4月

4日、柏飛行場跡の周辺調査で、ロケット戦闘機秋水の燃料貯蔵庫跡を発見(これは後で手賀の湖と台地の歴史を考える会により、記者会見(7月)、説明会(8月)が行われ、読売、朝日、毎日、千葉日報の各紙が掲載)。

その後、戦争遺跡は、柏近辺をまわっただけで、今年はあまり活発にまわることがなかった。

<秋水地下燃料庫を発見した直後の様子と燃料庫内部>

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18日、柏の葉キャンパ.ス駅に近い千葉大での「柏の葉里さくらまつり」シンポにパネラーとして参加。

29日、手賀沼と松ヶ崎城の歴史を考える会総会にて会長に選出される。講演会は「保存運動から見た東葛の城と松ヶ崎城」というタイトルで、地域史研究家の田嶋昌治氏が講師。

<講演会のチラシに使った見学会の写真>

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5月

30日、手賀沼と松ヶ崎城の歴史を考える会の活動として、歴楽講座を開催(現在も続いている)。

6月

大高城に関する論文を書くため、7月まで東京都立中央図書館(有栖川宮公園)に通う。論文執筆の資料に関して、水野氏史研究会の水野青鷺氏にお世話になった。

7月

4日、松ヶ崎城跡にて、植樹里親記名板除幕式。柏市教育委員会や柏ロータリークラブ、ボーイスカウトから来賓。除幕式は里親をはじめ、関係者80名ほど参加。

<松ヶ崎城跡の除幕式>

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中旬  手賀沼と松ヶ崎城の歴史を考える会で事務局長を務めたH氏が病気のため逝去。

8月

大高城の論文が、愛知中世城郭研究会の『愛城研報告』第14号に掲載される(長いため、前半が第14号、後半が15号に分割掲載)。

<『愛城研報告』表紙>

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この頃、将門伝説を訪ね、柏市岩井、我孫子市をブラブラする

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8月初めから仕事の都合で、客先常駐(現在にいたる)

9月

松ヶ崎城祭りの準備を始める

10月

6日、地元中学の要請により、中学生11名に対し、松ヶ崎城跡の説明を実施

23日、小西城跡発掘現地説明会に参加。遺構は古城という15世紀の城跡と戦国期に新たに作られた大きな城跡の二つが隣接し、戦国期の大きな城の方が公開されていた。
外城、中城、本城、と大きく3つの郭があり、本城が主郭で、一番高い場所にある。特に本城の周囲を取り巻く堀が巨大で、本城の虎口は高い場所にあって、中城の土塁とは木橋で連絡していたとのこと。橋を落とせば、本城に立て籠っても、敵は侵入できないようになっていた。説明者は県文化財センターの井上哲朗氏。

<小西城の堀から本城を眺める>

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11月

7日、白井市郷土史研究会の小林さんの講演「白井市内の城跡とその周辺」を聞く。

14日、松ヶ崎城祭りを開催(第2回、約300名 の人出)。

見学会は午前、午後の2回。演者を集め、特にオープニングでは呼魂太鼓の総勢17名での和太鼓演奏を行い、大迫力であった。銭太鼓とどじょうすくい、茗荷さんの三味線がたり、尺八演奏、オカリナ&ギター演奏も。その他、野菜やアジア雑貨の販売もあり、会でも書籍、DVD、絵葉書を販売。

ロータリークラブからは、コーヒーショップが出店してくれた。

<見学会>

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<呼魂太鼓の演奏>

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27日、手賀の歴史散歩を開催。これは、手賀沼と松ヶ崎城の歴史を考える会主催で18名参加、手賀バス停を起点に手賀城跡、興福院、ハリストス教会、北ノ作古墳、兵主八幡神社、原氏墓所、下柳戸などをまわったもの。手賀原氏を調査すると、手賀原氏の家臣と同姓の家が城跡周辺に何軒もあり、屋号などからそのように判断される家もあった。

文化財めぐりなどと称する、地域の見学会はあるが、下柳戸までまわるものはないだろう。下柳戸には、かつて唯一の水源であった、一ッ井戸があり、参加者がみると満々と水が湧いていた。

<手賀歴史散歩の行程図>

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<兵主八幡神社>

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12月

11日、白井市郷土史の会有志と小森城跡近辺の旧家などに調査、聞取りにいく、平塚では板碑を見せてもらう。

この頃から旧沼南町箕輪の調査をはじめる。

<箕輪の香取神社>

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17日、手賀沼と松ヶ崎城の歴史を考える会の記事が地域新聞に掲載される。

今年は、なかなかブログまで手が回らず、忙しかったけれど、来年も充実した年であることを期待したい。

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