復旧した庚申塔
震災後、各地の庚申塔などの石造物の復旧が進む中、金堀の庚申塔が震災後なかなか元に戻っていなかったようであるが、先日前を車で通ったときに、きれいに並べてあり、復旧されたことが分かった。 それで昨日、近くの農作物直販所に用事があった帰りに写真を撮った。
<復旧した金堀の庚申塔群>
文字庚申のうち、向かって右(安政四年(1857)の庚申塔)と左側明治期の文字塔が倒れていた。後列の三基ある像容の庚申塔のうち、明和元年(1764)のものは笠石がとれており、さらに左側の彫刻が素晴らしい延享元年(1744)の青面金剛像は倒れていたが、すべて元に戻っており、倒れた像塔などきちんとコンクリートの台に固定化されていた。
<倒れていた延享元年の像塔も元通り>
聖徳太子の太子講の石碑は、庚申塔群の手前にあったのだが、同じ台の左側に据えられ、庚申塔の間隔が少し狭まったようである。しかし、金堀の人たちの共同の力によると思うが、きれいに復旧して良かった。
なお、同日もう一つ石仏がらみでうれしい話があり、坪井の入口にある庚申塔に正月のお供えをしている女性から話を聞いた。
<坪井入口の庚申塔にお供え>
以前は祠になっていたが、最近こういう形で祀られている。 その女性は、近隣の出身のようで、この庚申塔は坪井、神保新田などの守り神として、疫病や災難が入ってこないように守っているのだという。
しかし、最近では開発によって、こうしたものがなくなっていく、また、ごみを不法投棄する人がいて困るとのことであった。
路傍の石仏でも守る人がいて、後世に伝えられるというもので、有難いことである。
<庚申塔の前の正月のお供え>
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