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2012.12.30

復旧した庚申塔2

昨年、東日本大震災で受けた各地の庚申塔などの石造物の復旧を見てきたが、昨年末近くになって船橋市金堀の庚申塔が復旧されたことが分かった。 小室の庚申塔は割合はやくに復旧し、その後徐々に各地のものが復旧していったようである。

八千代市吉橋と尾崎の境目くらいにある吉祥院跡の庚申塔や石仏などは、復旧がやや遅かったようである。この吉祥院跡には優しい姿の寛文 8 年(1668)の勢至菩薩があるが、勢至菩薩も少し傾いた状態であった。しかし、今年の9月に行ったときには、倒れていたものや欠けていたものも含めて、石造物の修復がされ、コンクリートの台座に固定されていた。脇に「吉橋大師講 第一番札所」と刻まれた石塔が建っている。

<復旧した吉祥院跡の石造物>

Kisshoin1

例の勢至菩薩はやはり傾いていたようであるが、特に損傷はなかったようである。以前は、見やすい場所にたっていたのだが、他の石造物とあわせて一つの土台に接地されたために、今度のは少し見づらい状態にある。前に小さな石仏があり、その石仏越しにみる形になったためである。

<優美な勢至菩薩像>

Seishibosatsu

少し窮屈であり、せめて石造物群が集められた場所の東側から北側の一列に並んだ、お地蔵様などの石造物のような形に配してほしかったと思った。

なお、この吉祥院跡とは吉橋の貞福寺の末寺である吉祥院があった場所で、大師堂が建っている。実は貞福寺がある場所には戦国時代に吉橋城があり、この吉祥院跡も城域である。周辺の低地に比べて半島状に少し高くなっており、櫓か何かがあったのかもしれない。

<東側の石仏群>

Kisshoin2


それはともかく、各地の古い集落などにある庚申塔などの石造物が震災から復旧したことは、まだ集落の地力が残っていることを示している。時間はかかっても復旧したことは、やはり昔のものを大事にしていこうという地域の人たちの意思が働いているのだと思う。

ちなみに、近くの高本の農業協同館付近の石仏群も傾いたりしていたが、復旧し元の状態のように戻っていた。

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