仙台と東京
今年から仙台の仕事をしているが、東北にはまったく縁のなかった自分が、どういうめぐりあわせであろうか。
仙台といっても港の近くで、周囲には物流倉庫だらけの場所である。普段は東京に居て、仙台や東北のことは地震の話題がずっと語られていた頃には考えることがあったものの、地震から2年近くたった今ではすっかり忘れていた。
東京駅から新幹線に乗り、2時間もあれば仙台に着いてしまう。小生がもといた愛知県の知多半島より近い。
東日本大震災では、小生の会社の関連の電炉メーカーが被災し、生産をやめてしまった。その会社の水浸しになった施設の映像は見ていたが、まさかその場所に仕事で行くことになるとは思ってもいなかった。工場の事務所の2階の床まで水につかり、皆3階に逃げたと言っていた。工場の外壁は下から10mほどは色が変わっていた。工場でも何人かなくなっている。
港のある海の方から津波が来たのではなく、工場の正門から何百mも離れた川を逆流して津波がやってきたのだが、会社の駐車場にあった数百台の車は全て流され、今も何本か若い立木の上の方がなくなっている。
実は駐車場の向こう側、川の河口には街があったが、今はかろうじて道の名残や家の土台が残っているくらいで、荒野のようになっている。ぽつんと小さな神社が再建されたものか、鳥居とともに建っていた。
川沿いの道を少し遡上すると、家が何軒か建っていたが、1階部分はみな破壊されており、小学校も1階が壊れたままになっていた。 駐車している車があったが、住民がたまに戻ってくるのだそうだ。
自分も阪神大震災ではひどい目にあったが、2年もたったころには、すっかり復興して震災の傷跡はほぼなくなっていた。しかし、今なお東日本大震災の復興は進んでいない。あの操業をやめて事実上なくなった会社の敷地は、別の関連会社の敷地になっているが、そこには生産設備を取り払った建屋が倉庫代わりに使われ、大量のがれきが保管されている。がれき処理用に、巨大な焼却炉をグループのエンジニアリング会社がすぐに設置したそうだ。
仙台の街中と仙台でも津波にあった土地では全然違う。まして東京とは。
仙台塩釜港の近くの被災地には、防潮堤もまだ建設されていない。
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