水野青鷺氏逝去
<2007年5月名古屋市緑区で行われた桶狭間古戦場祭りの万灯会>
以前からお世話になっていた水野青鷺氏が、病のために5月30日になくなられた。 中山氏御子孫のS氏からの御連絡で、小生そのことを知った。 水野青鷺氏は、ご自身の水野氏のルーツを探るうちに、諸流ある水野氏の歴史、系譜などを調べるようになり、各地を訪問、研究を重ねて来られた。 水野氏史研究会の世話人として活動する一方、旺盛に地域の歴史なども探求されていた。
小生は愛知県に若い頃を含め二回勤務したが、今から10年ほど前に二回目の愛知県勤務となった時に水野氏と知り合い、一緒に愛知県半田市や各地をたずねたりしたが、水野氏の調査力、洞察力のすごさには感心させられた。 写真は2007年5月の名古屋市緑区桶狭間での桶狭間古戦場祭りの万灯会の様子だが、右端の後ろ姿の男性が水野氏だと思う。
水野氏には、色々御教示頂いたのに、結局何も御礼のようなこともできなかった。 愛知中世城郭研究会の会誌「愛城研報告」に小生が載せた大高城についての文章でも、水野青鷺氏による大高水野氏に関する春江院での聞取りが、考察の一つのベースとなり、これがないと余り論考らしいポイントもなく終わるところであった。
それにしても、お世話になった方の訃報に接するのは寂しいものである。 自分にはもはや何もできないが、中途半端にしていた小生の雑文をそれなりに完成させることが出来ればと思うくらいである。
水野青鷺氏のご冥福をお祈りします。
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