月はおぼろに東山
小生、歌はあまり人前で歌わないし、熱烈な音楽ファンではないように思う。しかし、音楽はそこそこ聴いていた。聴くのも、学生時代は専らクラシックで、社会に出てからはヨーロッパのポップスとかになり、カーステレオでよく聴いてた。特に、シルビー・バルタン、ジリオラ・チンクエッティは。
ジリオラ・チンクエッティはサンレモの女王であるとともに、カンツォーネを一般に親しめるものにした。しかし、日本では「雨」くらいしか、知られていないかもしれない。
会社にはいった当時は、CDなどはなく、カセットテープばかり。レコードはあまり持っていなかったが、たまに買ってくると繰り返し聴き、うっかり傷つけてしまうと大変損した気分になった。兵庫から転勤で東京にかわったとき、だいぶ売るか、捨ててしまった。しかし、神戸のレコード店に売りに行ったが、逆にシルビー・バルタンのレコードを買ってしまったこともある。
そういう小生が、ときどき、無意識のうちに口ずさんでいる歌が、二曲ある。それは「祇園小唄」と「君恋し」。なぜ、その曲なのか、皆目わからない。かなり昔からだし、「君恋し」はフランク永井が歌っているのを聴いているが、自分の胸のなかにあるのは曲調が違い、もっとテンポが速い。これについては、最近変なことに気付いた。
祇園小唄など、京都出身でもない小生がなぜ口ずさむのか、自分でもよく分からない。小生の雅号は、「湖城」であるが、その湖は琵琶湖を意味し、早い話が琵琶湖湖畔の城にちなんでつけたもの。それは会社の用事で滋賀大学にときどき行っていたおりに、経済学部を訪問すると必ず彦根城を経由して自宅に帰っていたので、最初は彦根城をイメージしていたが、膳所城でも大津城でもどうでもよくなった。
滋賀大学は経済学部と教育学部の二つの学部であるが、その二つがえらく離れている。教育学部は石山、経済学部は彦根。二つとも一日でまわるのであるが、いつもはじめは教育学部に行き、次に経済学部にまわった。その教育学部のある石山へは、自宅近くのJR芦屋から電車に乗り、京都で乗り換えて行っていたが、京都ではおりたことはない。それは仕事中ということもあるが、JR京都駅で降りても歩いていけるのは西本願寺くらいで、バスで出かけると戻ってくるのに時間がかかりすぎ、完全にサボリになってしまう。
<祇園白川にかかる巽橋>
小生と京都の縁は、やはり兵庫に住んでいたときに休日に阪急電車で四条河原町に出て、寺などをめぐるようになってからで、その前は一度高校の修学旅行で行ったきりである。阪急電車の終点が四条河原町。阪急百貨店や高島屋もあるが、電車を降りると四条大橋の近くに出て、木屋町を北へ川沿いに進むと先斗町、歌舞練場があって、さらに行くと三条大橋のたもとに出る。三条から四条にかけての鴨川の情景が、印象に残っている。
<鴨川~三条大橋から>
しかし、無意識に「祇園小唄」や「君恋し」を歌ってしまう、小生の変な癖は、ずっと前から、ごく若い頃からであるのが少々変である。
その「祇園小唄」を聴くと、なにか、祇園新橋あたりの光景が目に浮かんでくるようだ。しかし、ほとんど自分とは無縁の世界である。
祇園新橋界隈は、一番花街としての情趣を残している場所であろう。辰巳大明神や白川にかかる巽橋、茶屋の立ち並ぶ通りに向かい、白川を背にして吉井勇の歌碑がある。その白川は小さな川だが、ちゃんと鯉も棲んでいるし、水鳥もいる。
<舞妓のだらりの帯>
辰巳大明神はちょうど、道が分岐する場所にある。辰巳大明神とは、何に対して辰巳(南東)の方角にあるというのだろうか。たぶん御所であろう。東京でも、門前仲町のあたりは辰巳といい、辰己芸者などもいたのだが、それは江戸城からみて辰巳の方角を指していた。
辰巳大明神は、実は狸を祀っているそうだ。巽橋に住む悪戯好きのタヌキが巽橋を渡る人を化かして、困った人たちが神として祀ったとをいう謂れがあるそうだ。それが、当地が花街となると、いつのまにか、芸妓さん、舞妓さんら、祇園芸能に関連する人たちから親しまれ、芸道上達の神様になったとのこと。
<お茶屋が建ち並ぶ風景>
「祇園小唄」の一番の歌詞で「月はおぼろに東山 霞む夜毎のかがり火に」とあるが、東山の山麓、円山公園の近くに、かがり火をたいた料亭か何かあった。また、円山公園は枝垂れ桜が有名であるが、毎年4月上旬には、かがり火も焚かれるそうである。それは祇園小唄を意識しているのか、まさにそんな感じであろうか。
<円山公園の夜景>
2番の「夏は河原の夕涼み」も鴨川の河原に、川床を広げた店やそこに集まる人々が目に浮かぶようである。この鴨川は、夕暮れ時ともなると、アベックが集まり、等間隔に座ることで有名。はかったように、等間隔なのは、お互いの会話を聞かれたくないためかもしれない。アベックは、季節に関係ない。
しかし、出町柳あたりで、高野川と合流するYの字の地点から上流は加茂川で、下流が鴨川というのは、なぜだろう。あまり関係ないが、気になる。
<鴨川~四条大橋から>
<四条大橋のたもとにある南座>
この「祇園小唄」の歌詞は、作家・長田幹彦が昭和3年(1928)、祇園の茶屋「吉うた」に滞在していたときに作ったものである。その後、長田幹彦の小説『絵日傘』が映画化されることになり、浅草オペラの佐々紅華が長田幹彦の詞に曲をつけたものを主題歌として、「祇園小唄」が誕生した。
その映画『祇園小唄 絵日傘 狸大尽』は、昭和5年(1930)マキノ御室が制作、監督:金森万象 出演:澤村国太郎、浅間昇子、小金井勝というが、サイレントである。しかし、舞妓姿の女優が字幕に合わせてスクリーン脇で歌うという興行形態がとられ、「月はおぼろに東山・・・」という主題歌とともに大ヒットしたという。ちなみに、澤村国太郎の長男が俳優の長門裕之、次男が俳優の津川雅彦である。
「祇園小唄」の音源は、いろいろあるが、以下は美空ひばりのもの。
祇園小唄 Gion Kouta - 美空ひばり Misora Hibari
なお、前に書いたように、変なことに気づいたというのは、「祇園小唄」も「君恋し」も昭和3年(1928)から5年(1930)にかけて成立した歌であり、どちらも佐々紅華が作曲していることである。それが、元々クラシックや洋楽ばかり聴いていた自分の潜在意識にあるのが、どうもおかしい。
二村定一が歌うオリジナルの「君恋し」が、YouTubeにあった。このような歌が懐かしいと思うのは、なぜだろうか。親も生まれたか生まれないかのころの歌であるから、じいさんの記憶でも、小生の脳に残っているのであろうか。そういえば、なくなった母方のじいさんは、大量のSPレコードを持っていた。考えすぎだろうか。
参考サイト:京都府のHP http://www.pref.kyoto.jp
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (1)
最近のコメント