船橋市の無形民俗文化財となっている「飯盛り大仏」の習俗で有名な不動院の釈迦如来坐像。「飯盛り大仏」の由来は悲しい話である。船橋浦の漁場をめぐって、船橋の漁師と近隣の浦安、葛西辺りの漁師はたびたび紛争となった。船橋浦は三番瀬など、江戸前の恰好の漁場で、密漁も多く、漁業権を主張する船橋の漁師と周辺地域の漁師がよく争い、海上で争うことも多かった。特に文政7年(1824)には、一橋家御用の幟を押し立てて来た葛西の漁師と、船橋浦を守ろうとした船橋の漁師が衝突し、葛西の船に乗っていた一橋家の侍を船橋の漁師が殴ったことから大事となり、船橋の漁師惣代3名が入牢させられ、そのうち仁右衛門、団次郎の2名が獄死もしくは出牢後に病死した。その80年ほど前の延享3年(1748)津波の被害で落命した漁師たちの供養とあいまって、その牢の中で飯も満足に食べられなかった漁師惣代の苦労を偲んで、文政8年より大仏の顔に正月28日に飯を盛ることが年々続けられ、今日に至っている(明治以降は2月28日に飯盛りをする)。その大仏は、石造の釈迦如来像であり、不動院の門前にまつられ、いつも近隣の人の手によってか、花が供えられている。